【平成29年11月7日(火)参拝】
引き続き廬山寺陵。
閑院宮直仁親王は現在の天皇家に繋がる皇統としては決して外せない存在です。
東山天皇皇子 直仁親王墓 所在地:京都市上京区寺町広小路上る北之辺町廬山寺内
賀子墓後ろの2列ある左手の多宝塔が直仁親王墓
閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひとしんのう、宝永元年9月9日(1704年10月7日) - 宝暦3年6月3日(1753年7月3日))は江戸時代の皇族。弾正尹。准三宮。幼名は秀宮。宝永7年(1710年)に世襲親王家の一つ、閑院宮家を創設する。
東山天皇の第六皇子。母は内大臣従一位櫛笥隆賀の娘・藤原賀子(新崇賢門院)、同母兄弟に中御門天皇がいる。 御息所は関白近衛基熙の娘・藤原脩子(八百君)。
当時、既にあった宮家(伏見宮・有栖川宮・桂宮)は何れも天皇とは遠縁であり、皇統の断絶を危惧するも即位となれば天皇の近親者が相応しいとの考えから宝永7年(1710年)8月10日、新井白石の建議により創設された。享保3年(1718年)霊元上皇より直仁親王へ閑院宮の家号と所領1000石が下賜された。伏見宮・有栖川宮・桂宮・閑院宮を合わせて4宮家(四親王家)という。
閑院宮邸は京都・公家町南西にあり、明治に入り閑院宮家が東京に移ってからは宮内省京都支庁・厚生省管理事務所などを経て近年は環境庁京都御苑管理事務所として利用されていた。
【系譜】
妃:近衛脩子(八百君)
女房:左衛門佐讃岐(伊藤一中娘)
・第三王子:寿宮 のちに典仁親王(第二代閑院宮、慶光天皇) 1733-1794
(参考文献:2017年7月23日付ウィキ参照)
制札前の生垣に囲まれた東北院の井戸と伝わる「雲水ノ井(くもみずのい)」跡。