東山天皇後宮 中御門天皇生母 新崇賢門院 藤原賀子墓(廬山寺陵) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成29年11月7日(火)参拝】

 

月輪陵のあとは場所を出町柳に移して廬山寺

                                

ここは紫式部で超有名ですが…

 

                                

                                        自分はこちらに用事があるのです。

 

                                

 

東山天皇後宮 新崇賢門院 藤原賀子墓 所在地:京都市上京区寺町広小路上る北之辺町廬山寺内

(廬山寺陵)

 

               

 

               

                                         陵内右手前の無縫塔が賀子墓

 

櫛笥 賀子(くしげ よしこ、延宝3年(1675年) - 宝永6年12月29日(1710年1月28日))は江戸時代中期の女性。東山天皇後宮で、中御門天皇生母。初名は慶子(読み同じ)だったが、父・隆慶が隆賀に改名したのに伴って賀子に改名した。

勾当内侍として出仕後、掌侍を経て典侍東山天皇との間に慶仁親王(中御門天皇)や閑院宮直仁親王など5皇子1皇女をもうけた。東山天皇の譲位後、一条局・四条局と名乗る。

宝永6年(1709年)従三位に叙せられ、同年12月、35歳で薨去。墓所は京都上京区廬山寺。没後従二位の追贈を受け、翌年の宝永7年(1710年)に准后となり、新崇賢門院の院号を追贈された。

 

(参考文献:2017年6月20日付ウィキ参照)