霊元天皇 歯塔 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
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【平成29年10月31日(火)参拝】

 

霊元天皇歯塔 所在地:和歌山県伊都郡高野町奥之院

 

この日は未だ台風の影響で南海高野線の高野下~極楽橋駅間が不通でしたので、思い切って車で行って来ました。(自宅から京阪奈道経由で2時間半かかりました…疲)

 

高野山ではもう紅葉が見頃になってました。

               

金剛峯寺

 

               

                                        奥之院 御廟橋

 

この御廟橋から先は弘法大師の霊域に入るために撮影禁止とされていますが、他の先人方達の陵墓ブログ等では撮ってるようなのと、自身、御廟を写さないという自己解釈の元、撮ってきました。(弘法大師様お許し下さい。)

               

 

               

 

               

 

ここには霊元天皇始め、計24名が祀られています。

歴代天皇では霊元天皇(歯塔)、中御門天皇(髪塔)、桜町天皇(髪塔)、桃園天皇(髪塔)、後桜町天皇(髪爪塔)、後桃園天皇(髪塔)、光格天皇(爪塔)、仁孝天皇(髪歯塔)、孝明天皇(髪歯塔)の9帝が祀られています。本来の巡礼ルールであれば霊元帝以降、順次参拝に来なければならないのですが、弘法大師の霊域内でもあり、恐れ多いので最後に孝明帝時にもう一度参拝させて頂きます。

 

霊元天皇(れいげんてんのう、承応3年5月25日(1654年7月9日) - 享保17年8月6日(1732年9月24日))は、江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)- 貞享4年3月21日(1687年5月2日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)。

陵(みささぎ)は、京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある月輪陵(つきのわのみささぎ)に治定されている。公式形式は石造九重塔。