後西天皇妃 藤原定子墓(百万遍知恩寺) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成29年10月27日(金)参拝】

 

後西天皇妃 藤原定子墓 所在地:京都市左京区田中門前町103 百万遍知恩寺墓地

 

二度目の百万遍知恩寺。

               

 

               

                                                                   この後西天皇皇女墓の中に定子の墓があるようです。

 

               

「京都名墓探訪」によると「生垣で囲まれた後西天皇皇女三宮の墓域入口で、正面(北)の突き当り(端)に3基の宝篋印塔が東西に並び南面し、その手前右手(東南)の、入口より右斜め(北東)4m程に六条局の宝篋印塔が石柵に囲まれて西面。」とあります。

 

               

この宝篋印塔に間違いないようです。

 

藤原(梅小路)定子 ?-1680 江戸時代前期の女官。
光源寺智秀の娘。権(ごんの)大納言梅小路定矩の養女後西天皇後宮、六条局

公弁入道親王,道祐入道親王,尚仁親王,良応入道親王らを生む。

延宝8年6月27日死去。贈正三位。名は「さだこ」ともよむ。