【平成29年6月14日(水)参拝】
後亀山天皇のウィキペディアの中に下記の一文が…
『歴朝要紀』『陵墓一隅抄』は百重原陵(大阪府交野市私市の獅子窟寺内)を南方陵として挙げているが、これは同所にある亀山天皇供養塔の訛伝であろう。
一応、これは確かめる必要があるので獅子窟寺まで行って来ました。
獅子窟寺 王の墓 所在地:大阪府交野市私市2387
場所は京阪「私市」駅から東へ徒歩で約30分。
参道はかなりの急勾配なので車では行かないほうが良いと思います。
この参道入口から一気に急勾配で650mをひたすら登ります。
10分以上登り切ったところに仁王門跡 左に行けば王の墓
案内板には亀山上皇とハッキリ書いてるやん!と思いながら左の道へ
左折してすぐの処にはお大師さまの水 五輪塔群を通り過ぎると
王の墓が見えてきた。
二基とも五輪塔の水輪(丸石)がない。
嘉元3年(1305年)亀山上皇崩御の時に、ここ百重が原の地に王の墓が建てられた。とのこと。
よって時代考証から考えて後亀山天皇ではなくて亀山天皇時代のもので間違いなさそうです。