順徳天皇准母 尊称皇后 昇子内親王 浄菩提院塚陵墓参考地 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成29年3月28日(火)参拝】

 

順徳天皇生母は後鳥羽天皇の寵妃、藤原重子ですが、現在まで陵墓が不明。
なので今回は准母である昇子内親王を辿ってみたいと思います。
 
浄菩提院塚陵墓参考地 被葬候補者 昇子内親王 所在地:京都市伏見区竹田東小屋ノ内町
 
場所は近鉄「竹田」駅より南西に1km行き、阪神高速を越えてすぐの新城南宮道沿い。
ちょうど白河天皇陵の道を挟んだ南西側に位置しています。
 
垣根も綺麗に剪定され、よく整備されているのが判ります。
               
 
               
 
               
 
               
 
               
道の北側から撮影
 

昇子内親王(しょうし/のぼるこ ないしんのう、建久6年8月13日(1195年9月18日) - 建暦元年11月8日(1211年12月14日))は、鎌倉時代の皇族。東宮守成親王(順徳天皇)の准母皇后、女院。院号は春華門院(しゅんかもんいん)。後鳥羽天皇の第一皇女で、中宮九条任子(宜秋門院、摂政関白九条兼実女)の唯一の所生である。

建久6年(1195年)10月16日内親王宣下。まもなく八条院の猶子となり、八条院のもとで育てられた。建久7年(1196年)正月、病床にあった八条院は、膨大な八条院領のほとんどを昇子内親王に譲るという内容の譲状を作成しているが、その後八条院は病気から回復している。同年4月、一品准三后。承元2年(1208年)8月8日、異母弟の東宮守成親王(のちの順徳天皇)の准母として皇后宮に冊立される。承元3年(1209年)4月25日院号宣下、春華門院となる。建暦元年(1211年)6月26日、八条院が薨去しその所領の大部分を相続したが、昇子内親王も同年11月8日に17歳で崩御した。八条院領はその後順徳天皇に相続された。(参考文献:2017年3月14日ウィキ抜粋)