淳仁天皇 淡路伝承地 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
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奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成27年9月27日(日)参拝】

淳仁陵(淡路陵)の後は、島内に残る伝承地を廻ります。

淳仁陵前の県道31号をひたすら北上、約3km程行くと、大炊神社の道標があります。
そこを右折すると大きな標識。その200m先に大炊神社があります。


【天皇塚/大炊神社】 所在地:兵庫県南あわじ市志知中島
「別ニ口碑傳ヘテ淡路墓トナスモノ丘松ノ西十餘町、中島邑ニ在リ。」とはこの大炊神社のことと思われる。765年に亡くなった淳仁天皇の御遺体がここ天皇塚に埋葬されたと伝えられている。





この奥に塚があるようです。                  この祠の下がが天皇塚なのでしょうか…。


大炊神社から北東2km付近に宝積寺がある。

【寶積寺】 所在地:兵庫県南あわじ市市十一ケ所456
ここ宝積寺には淳仁天皇の位牌が納められているという。境内には淳仁天皇千二百年記念碑もある。




そして宝積寺から北東200mあたりに野辺の宮がある。

【野辺の宮】 所在地:兵庫県南あわじ市市十一ヶ所398-1
丘松の西傍にあり別名廃帝社という。ここが淳仁天皇が幽閉されていた跡ではないかといわれている。
十一ケ所寺中古図に掲載されているところによれば、廃帝天皇御廟がこの野邊宮にあたるらしい。
ここが御陵参考地となったときもあるとの事。






野辺の宮の200m東には宮内庁管轄の市陵墓参考地がある。

【市陵墓参考地】 墳形:円墳 所在地:南あわじ市市十一ケ所
この場所は丘の松と云われ、古くから伝わる「陵松の義」という里歌に「ココハ淡路ノ廃帝様ノ御陵松カヨ尊シヤ」と詠まれているため初葬地と考えられています。






ここからは、高速道で伊弉諾神社方面へ移動。

バス停の陸の港西淡までは徒歩30分。そこから高速バスで25分、津名一宮ICへ。 
津名一宮ICから伊弉諾神宮までは徒歩でさらに北上、3~40分…かなりキツイ…。


【妙京寺】 所在地:兵庫県淡路市中村126   ここ妙京寺にも位牌が祀られているという。


妙京寺から北へ5~6分程で有名な伊弉諾神宮


その伊弉諾神宮の西側、坂を登った処に「淡路香りの公園」があります。
その公園の中に妙京寺管理の「御衣冠塚」があります。

【御衣冠塚】 所在地:兵庫県淡路市多賀530-1(淡路香りの公園内)

ここは淳仁天皇の衣冠(衣服と冠)を御霊代として葬った塚なのです。




うっすらと淳仁天皇ご衣冠塚…妙京寺と読める。


そしてラストは、伊弉諾神宮の北東、直線で200m位の場所にある、通称「高島陵」

【高島陵】 所在地:兵庫県淡路市北山

このガードレールから上がって行きますと木々のトンネルが見えてきます。


そのトンネルをくぐると「淳仁天皇御陵」の石標がありました。




五輪塔には菊の御紋が。                    奥の石柱には「淳仁天皇御廟所…」と読める。


淡路島内でもこんなにたくさんの伝承地があるという事は、淳仁天皇が如何にまともな最期を遂げていないかが想像できます…。

以上で淡路島における淳仁天皇伝承地は押さえたつもりです。

あとは、滋賀県にも伝承陵があるようなので、次はそこに行こうかと…。