今回の参詣は品川区二葉の蛇窪神社へ。

ここはJR「西大井駅」から西へ700メートルほどのところ、品川区立上神明小学校の南側に鎮座しています。西大井を中心に散歩してきたけど、この辺りまで来ると、東急大井町線「中延駅」の方が最寄り駅。

 

 

 

上神明天祖神社の画像

大鳥居

5年前に訪問した時には大鳥居がありました。奇跡的に戦禍も免れ、後に銅で修繕されたものです。1枚目の写真は昨年(2019)訪問した時のものなので鳥居がありませんが、今年の創建700年奉祝事業の一環で新調されたようです。

 

 

 

 

上神明

当社は通称『上神明天祖神社』と呼ばれていて、1kmほど東側には下神明天祖神社があります。元は同一だったそうですが、いつしか分かれて現在に至っています。

宗教法人としては上神明も下神明も「天祖神社」の号のみで登録されていますが、当社は令和元年の御大典より、別称の「蛇窪神社」の号を積極的に用いています。

 

 

 

 

手水舎

龍の吐水。水はとても綺麗。

 

 

 

 

狛犬

右が阿形で子抱き、左が吽形で鞠を抱える。

昔の上蛇窪村の名も当社から来ているのでしょう。

 

 

 

蛇窪神社の画像

由来

当社の起こりは、鎌倉時代前期に大森にある厳正寺の開山法圓上人(伝:鎌倉幕府連署(副執権)北條重時の六男)の甥である法密上人が、大旱魃に際し、雨乞いをして寺の乾の方角に当たるこの地に龍神を祀って宮居を建てたといいます。

どうもこれらは、境内社の弁財天社(龍神)の由来であって、天祖神社としての由来は残っていないようです。アマテラス自体は穀物神ではない。

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

天祖神社由緒

神社名 上神明天祖神社

旧社格 村社

鎮座地 品川区二葉四丁目四番十二号

御祭神 主神 天照大神 配祀 天児屋根命・応神天皇

文永八年(鎌倉時代)・西暦一二七二年)十一月十日北條四朗

左近太夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を

与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地

地域を開くように諭して、自らはこの地を去りました。

 時千代は、後に法圓上人と称して大森(大田区)に厳正寺を

開山し、家臣たちの多くは蛇窪付近に居住しました。

 現在でも、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由からです。

 文永八年の秋から五十年ほど経て、元享二年(西暦一三二二年)

武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来

は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第

二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥の方向

(北西)にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨ごいの

断食祈願をしました。上人の赤誠と神霊の冥助により、大

雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができ

ました。

 これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を

勧請(神仏を別の場所に移して祀ること)し、神恩にこたえた

てまつりました。

 これが現在の天祖神社の縁起とされています。

 一説には、鎌倉幕府時代に、この地の豪農、森屋氏(現

森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。

下神明天祖神社との関係は当初同一村同一神社でした

が、正保年間(一六四四年)今から三六三年前に下神明が

上神明から分立したためです。

平成十八年六月吉日

天祖神社 宮司 斎藤篤信

 

 

新編武蔵風土記稿 荏原郡品川領上蛇窪村

神明社

除地二段二畝村西の方にあり、社二間に二間半、村の鎭守なり

勸請の年歴を詳にせず馬込村長遠寺の持、末社稻荷社本社の側に在り

 

 

 

 

社殿の右脇に弁財天社に向かう参道があります。

 

 

 

 

かつては大鳥居の左脇に弁天池とその中島に弁天社があり、昭和29年(1954)に現在地に移転したといいます。

現在この弁天社も新しく造営されるようです。

 

 

 

 

この白龍と、社前の白蛇像は、現在のお社を手掛けた鳶頭櫻井氏の雇員真鍋氏が手掛けたそうです。お社が昭和29年の造立なので、こう見えて66年も前の作品。

 

 

 

 

お社を4匹の白蛇が守っているのでしょう。傍らにも2匹の子蛇がいます。

 

 

 

 

お社の中は、石製の小祠があります。

 

 

 

 

撫で白蛇

こちらも奉祝事業の一環で奉納されたもの。

 

 

 

 

伏見稲荷神社

神前幕の左右からとても視線を感じます。

 

 

 

 

狐像

おそらくこれも、白龍や白蛇同様、真鍋氏が手掛けたものでしょう。

氏の作品は、型にコンクリートを流し込んだわけではなく、手でこねて形作ったものっぽい。

 

 

 

 

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

稲荷社のいわれ

 お稲荷さまは、京都伏

見稲荷大社の御分霊をお

祀り申し上げています。

元亨二年(一三二二)

に武蔵の国を救った雨乞い

の断食祈願に基づいてお祀

りさて、明治十二年の神社

明細帳にその名が見られる

事から、相当古くから祀ら

れていることは確かです。

 御神徳は、衣食住を司り、

私たちの家業繁栄、家内安

全を昼夜の別なく御守護

下さっています。

 現在の神殿、上屋、燈籠

などは、櫻井昌利氏はじめ

氏子篤氏家の寄進による

ものです。

天祖神社 宮司

 

 

お正月の時だけ少し賑やかになります。

 

 

 

写真は、2015.1.2(大鳥居・稲荷社)、2019.10.13(他全て) 撮影

 

備考

社号 上神明天祖神社

別名 蛇窪神社

創建 元享二年(1322)

祭神 天照大御神・天児屋根命・応神天皇

祭日 

末社 嚴島弁天社 伏見稲荷神社

社務所 

所在地 東京都品川区二葉4丁目4−12

その他 令和四年(2022)御鎮座700年