今回の参詣は、足立区千住4丁目の氷川神社へ。
ここは北千住駅の北側、先日掲載の長円寺の左隣にある。
旧水戸街道沿いにある氷川神社で、江戸時代には近くに槍掛けの松と呼ばれた大松があったのだそう。
槍掛けの松
水戸藩の大名行列が街道沿いの大松の下を通る際、長槍を抱える槍持ちの一行は、邪魔な松を切ろうとした。行列にとって、先頭を行き権威の象徴でもある長槍は、何があっても横に倒すことを許されないためだった。しかしその松の立派さを見た水戸光圀が、伐採をやめさせ、松に槍を掛けて休息を取らせた。再び出立の際には、立て掛けた槍を反対側から取れば倒したことにはならないだろうという機転からで、以降行列がここを通る際に槍を掛けて休息をとるのが習わしになったのだそう。
そんな逸話を残す大松も昭和になって枯れてしまい、今は近くのお団子屋さんに槍かけの名が残るのみとなっている。
スサノオ信仰
ここはいわゆる北千住と呼ばれた旧宿場町で、荒川と隅田川に挟まれたわずか4.5㎢の扇形の地域。ここに氷川神社が4社あり、同じくスサノオを祀る千住神社も含めると同系の神社が5社もある。さらに明治時代に統合された牛田氷川神社もあった事からすると、スサノオ信仰が盛んであったことが窺える。
手水舎
吐水は、鞠を手押しする子供の獅子の形をしている。吐水の形は神獣であるものが間々あり、姿かたちにも幾らかのレパートリーがあるも、「子供」というのは特に珍しい。
鉢の前面には「頮漱」とある。頮は洗う、漱はすすぐの意。右側面には「昭咊三歳秋」とある。西暦1928年。
狛犬像
右が阿形で左が吽形。
御由緒はない。
扁額には「氷川社 井敬義拝書」とある。井敬義については検索しても出てこない。著名人ではないのかも。
境内社
本社殿の左隣にある。
階段の先の木の下には「三管塚」と刻まれた石碑が立つ。
狛犬像2
猿田彦大神・稲荷神社・高正天満宮
中央に稲荷を置いた三社一宮のつくり。
天満宮のみ御由緒があり、前回の長円寺の扁額にもあった正木氏健(健順)は、当社創建にも関わる寺子屋の塾主のよう。
御由緒
境内掲示より字体改行などそのまま記載
こうしょうてんまんぐうえんぎひ
高正天満宮縁起碑
氷川神社内に合祀される高正天満宮の縁起を示す碑である。
千住四丁目の名主高梨氏の系譜、高正天満宮の由来について詳
しく述べている。
千住四丁目の名主高梨信平は地域の子供たちに読み書きなど
を教えていた。縁故を頼って屋敷内に住むことになった正木昌
房に、老齢の信平は子弟教育を託し、代々信奉していた菅原道
真の像を譲った。正木氏はそれよりこの像を家神として祀り、
子弟教育を家業とするようになった。
昌房の孫、正木建はこの菅原道真像を個人で祀るより、氏神
社内で祀ることを思い立ち、高梨氏と正木氏とに関わるこの神
を高正天満宮と号することにしたという。
正木氏は、昌房以来、代々寺子屋「群雀堂」の経営にあたり、
二代目塾主、大助(正木櫟蔭)の代には大いに発展し、来塾する
ものが毎日百人ほどもいたという。
元治元年(一八六四)に建立されたこの碑は、三代目正木建の撰文
によるものであり、天満宮の由来はもとより、寺子屋開塾に至
る経緯が伺われる貴重な資料である。
平成二年一月、足立区有形文化財に登録された。
平成七年三月
東京都足立区教育委員会
石柱碑
境内社の左右に配されている。
向かって右側
表:誰識立祠遺闔鄕
右:故家名迹託神光
裏:梅社園主正木健題
向かって左側
表:莫作尋常報賽場
右:後來縦不如吾意
裏:慶應二年丙寅二月
記念碑
境内の左側にある。
冢社改脩記念碑
塞大神 三柱
日露戦役紀念碑
髙正天滿宮縁起
写真はすべて、2016.03.20 撮影
備考
社号 氷川神社
創建 元禄四年(1691)
祭神
祭日
末社 高正天満宮、稲荷神社、猿田彦大神、塞大神
社務所
所在地 東京都足立区千住4丁目31−2
その他