2019.1.24公開、2021.4.14追記補正

今回の参詣は、港区三田の御田八幡宮古跡石碑へ。

ここは麻布通り「一の橋」交差点の南東、香川県の生協によって建てられた「東京さぬき倶楽部」という宿泊施設。

かつては讃岐会館といい、香川県人会の社交場としてあったが、現在は一般に開放されレストランだけの利用もできる。

 

 

 

 

東京さぬき倶楽部の画像

東京さぬき倶楽部は2020年4月をもって閉業しました。8年掛りの「三田小山町西地区市街地再開発」計画もあり、今後もこの旧跡に立ち入ることは難しいかもしれません。

追記以外のところは、なるべく掲載当時のままの文体にしてあります。

 

 

 

 

さぬき倶楽部の門を入って左側の駐車場側に周り、和風建築の別館の渡り廊下を沿うように進む。後でわかったことだけど、この別館はミキモトの創始者・御木本幸吉の別荘だった建物。

 

 

 

 

道なりに進んでほんの少し坂を上がれば、右手側に狛犬と石碑が見えてくる。

背の高い木々に囲まれ、周囲の建物からはおよそ見つけられそうもない場所。グーグルマップにこれを投稿した人は良く見つけられたものだと感心する。

 

 

 

 

三田八幡宮古跡

当所はここより2kmほど南にある御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)の旧鎮座地。寛弘八年(1011)に現在の地(三田3丁目)に遷座し、元宮の方は地名を取って「窪三田八幡宮」と称されていました。

明治時代に別当の眺海山宝蔵寺無量院が廃寺になります。元宮はそのまま残されていたものの昭和43年(1968)にさぬき倶楽部建設に当たって神社としては廃止され、以降はこうして旧跡として存続しています。

 

 

 

 

狛犬

向かって右が阿形で頭に宝珠を乗せ、左が吽形で角らしきものが生えている。この場合右が獅子で左が狛犬か。

またつま先に目をやると右が毛の流れを多く表し、指と爪の盛り上がりが大きい。左は摩滅具合かもしれないけど毛の流れが弱く、指の盛り上がりもあまり無く、指と爪の間に二重線が入っている。

右は「天保六未四月吉日 敬再建」、左は「天保六未四月吉日 再興」と記されていて、西暦では1835年、お蔭詣りが流行ったり、天保の大飢饉があったころ。

 

 

 

 

手水鉢

「心洗水」とあるも、裏側に回り込めないため、見える範囲にはそれ以上確認できず。

 

 

 

 

石碑

「渡邊綱尊敬 三田八幡宮古跡」とある。

今は三田1丁目ですが、古くは窪三田といって、渡辺綱が出生した地であり、隠居した後の終の棲家とした地だったという伝承があります。綱は源頼光の四天王の一人です。

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

御田八幡宮旧跡

 和銅二年(七〇九)年、牟佐志国牧岡

(現在地)に東国鎭護の神として鎭祀され、

延喜式稗田神社として伝えられ、その後

寛弘八年(一〇一一)年、武蔵国御田郷

久保三田の地に遷座され、嵯峨源氏渡辺

一党の氏神として尊崇された俗に「綱八幡」

と称する神社の旧跡です。

 江戸時代を通じて同宮の別当寺である

無量院が存続しており、明治維新による

寺の廃絶後は同宮の分社が祀られていま

したが、それも廃された後、昭和四十三年

当会館が建てられた所であります。

 

 

 

 

帰りにさぬき倶楽部に寄ってみました。

 

 

 

 

本館は昭和47年(1972)に建てられたもので、国立能楽堂や神田明神を手掛けた大江宏の設計。

 

 

 

 

2階のレストラン花季月(かきづき)へ。

訪れたのがちょうどラインタイムだし、さぬき倶楽部ゆえに本場の讃岐うどんが食べてみたくなった。

 

 

 

 

写真は、2018.11.20(東京さぬき倶楽部、旧跡)、2021.4.14(閉館後の外観) 撮影

 

備考

名称 三田八幡宮古跡

祭神 

創建 

祭日

末社

社務所 

所在地 東京都港区三田1丁目11-9

その他 さぬき倶楽部の敷地内

      御田八幡神社の旧鎮座地