今回の参詣は、台東区寿の永見寺の金勢和合稲荷大明神へ。
ここは地下鉄銀座線田原町駅の西側、浅草通り「菊屋橋」交差点を南に入ったところ。三筋の方から来ると、かっぱ橋を象徴するニイミ洋食器店のあのジャンボコック(看板?広告?)像が見えてくる。
桃雲山永見寺
慶長十六年(1611)に八丁堀に創建した曹洞宗の寺院。寛永十二年(1635)に御用地となったため、現在地へ移転してきた。
境内左側、墓地の入口に今回の稲荷がある。
9年前に訪れた際は、本堂を撮っていなかったため、もう一度訪問。
しかし、稲荷の入口には撮影禁止の立て札が。
ということで、撮影禁止ではなかったころの写真を掲載。
よく見ると、右側の石碑にお堂が覆われていない。現在このお堂には「玉菊稲荷堂」と記され、中の石塔には「先祖代々之墓」といった文字が見える。しかし、境内にこれら稲荷の由来は無く、また御府内備考続編などには玉菊稲荷は出てこない。
金勢和合稲荷大明神
「金勢和合稲荷大明神」の方には石塔が立っているのみで、覆屋はない。こちらは御府内備考続編に記載されてはいるけど由来が無かった。字は違うけど、金精様をお祀りしているのだろう。
石塔の手前、二つの白い敷石のバランスで男印を現していると当時は思っていたのだけど、現在では左右に石灯籠が置かれているので、偶然の産物だった様。ただ、その左隣に男印形の石が、写ってないけどその手前に女印の石があった。
御本堂はモダンな造り。
御府内備考続編
巻九十八 寺院部七十四 曹洞宗
江戸駒込吉祥寺末 浅草新堀端
桃雲山永見寺
当寺慶長十六辛亥年八月廿四日於八丁堀地所拝領仕
其後寛永十二乙亥年五月廿二日御用地ニ罷成浅草ニ
而境内南北弐拾間東西三拾間御替地被下置候右は正
徳三癸巳年六月廿四日上書之趣ニ候
本堂 本尊釈迦如来
鎮守天照皇大神宮
金勢和合稲荷大明神
※慶長十六年(1611)、寛永十二年(1635)
写真は2009.12.13(稲荷)、2018.12.15(本堂その他)
備考
社号 玉菊稲荷・金勢稲荷
祭神
創建
祭日
末社
社務所
所在地 東京都台東区寿2丁目7-6
その他 永見寺の境内