今回の参詣は、台東区元浅草の孫三稲荷神社へ。

地下鉄銀座線稲荷町駅と田原町駅の中間、浅草通りの「元浅草四丁目」交差点を南に曲がったところが孫三通り。この通り沿いにあるのが当社孫三稲荷。

 

 

 

孫三稲荷は『まごぞういなり』と読むのだそう。

由来は戦国時代後期、徳川家康の川渡りを助けた男が、実はこの孫三稲荷の化身だったのだとか。

駿河国安倍川付近(現:静岡市)に居住する御小人(おこびと/江戸城の警備、将軍の馬の誘導を担当した)96名が、台命によって当稲荷を奉持して神田三河町に住した。慶安年中(1648-1652)当所に屋敷地を与えられ、同時に当社もここに安置された。

 

 

 

 

手水鉢

 

 

 

狐像

右が宝珠を咥え宝珠を抱える。左が巻物を咥えて子抱き。

 

 

 

 

孫三稲荷と安倍川から移入した人々に因んで、当地は「阿部川町」と称した。漢字がやや異なる理由までは記されていない。

現在の住居表示が施行されて元浅草三丁目となり、町名としては消滅したものの、今でもお祭りのときには「阿部川町」の名が入った法被を着て繰り出すのだとか(鳥越神社の氏子)。

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

 孫三稲荷 まごぞういなり

 台東区元浅草三丁目十九番地七号

 この付近は、『御府内備考』によると、慶安年中(一六四八-五二)、

川村某が駿河国安倍川(現在、静岡県静岡市域を中心に流れる一級河

川)の鎮守「孫三稲荷」とともに駿河から当地へ移したことにより阿

部川町と称していた。
 孫三稲荷は、当地に伝わっている由来によると、天正年間(一五七

三-九二)、徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川

を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、ただ安倍川

の川辺に「孫三」の名を持つ祠があり、実はこの稲荷の化身であった

という霊験から、天正十八年(一五九〇)関東入国の際、家康の命に

より稲荷の神体ごと川村某の手により江戸にもたらされ、慶安年中当

地へ移したという。この伝承は、江戸へ招来した年も『御府内備考』

と異なるが、『町方書上』に、慶安に安倍川より移安したことが記され

ており、江戸初期には地域の鎮守として信仰を集めていたことが知ら

れる。
 『町方書上』にはまた、当町に店借していた修験者の善明院という

人物が「正一位孫三稲荷大明神」を司っており、神像は木造で長さ三

寸(約十センチメートル)であったと記されている。
 現在、静岡の孫三稲荷の所在は不明であり、当地も関東大震災、東

京大空襲などによって、記録や社殿を失ったが、昭和二十六年、当町

会(阿部川町・菊屋橋町会)によって、社殿が再建され、毎年三月八

日に例祭が行われている。
 平成八年七月

 台東区教育委員会

 

 

 

社殿内

内部に掲げられた幟には阿部川町会理事の名が見える。

ちなみに、江戸時代の阿部川町の名主高松喜兵衛ほか5名の浅草商人が新宿を開き、喜兵衛(後の高松喜六)は内藤新宿の名主となった。

 

 

 

扁額

「鎮座四百年記念 孫三稲荷神社 第五区五番組町頭中」とある。

 

 

 

 

当社オリジナルの抱き稲に孫の御神紋。

 

 

写真はすべて2016.3.27 撮影

 

備考

社号 孫三稲荷神社

別名 孫三神社

祭神 宇賀魂神

創建 寛永十三年(1636)以前

祭日 3月8日

末社

社務所

所在地 東京都台東区元浅草3丁目19−7

その他