今回の参詣は、中野区本町の五柱五成神社(ごしゃいなりじんじゃ)へ。
ここは地下鉄丸の内線「新中野駅」から10数メートル東、青梅街道沿いの鍋横大通り商店街から一本南に入ったところ。
当社は右の本殿が五柱五成神社、左の摂社が天五色辨財天となっています。
五柱五成神社
まず右側の本殿には、天圀蔵五柱五成大神(あめこくぞうごしゃいなりおおがみ)と称される五柱の神を主祭神として祀っています。
五柱を五社と同義として「ごしゃ」と読むのはわかるけど、五成で「いなり」と読ませるにしては、稲荷神は一柱のみのようでちょっとナゾ。ほかに祀られている天五色大天空大神や天五色辨財天と、『五』に縁起を求めているところから、五成なのかな。
御祭神のネーミングにキラキラ感があるので、気になって調べてみたところ解脱会が奉斎されている模様。同名の神社が西東京市田無町、埼玉県北本市の本宿天神社境内社にもあり、本宿天神は寛文二年(1662)の創建と古い。ただ、北本市は解脱会の発祥地(御霊地)でもある。解脱会は新宿区荒木町に本部があり、同地金丸稲荷神社の玉垣にもその名が確認できます。
狐像
向かって右が阿形、左が吽形。
そして二匹とも手前に鍵と宝珠がそれぞれ置かれている。抱えていないところがめずらしい。
賽銭箱にあしらわれた御神紋は抱き稲に十二八重菊の紋。
御祭神
中央
天圀蔵五柱五成大神(あめこくぞうごしゃいなりおゝがみ)、天日瑞穂造美尊(あめみずほつくりみのみこと)、天豊穀食類媛命(あめとよおしよくるいひめのみこと)、天豊宇気比媛命(あめとようけひめのみこと)、天太田地土命(あめおゝたじどうのみこと)、天大市比売尊(あめおゝいちひめのみこと)。
右
正一位槙屋末広稲荷大明神(しょういちいまきやすえひろいなりだいみょうじん)。
左
天五色大天空大神(あめごしきだいてんくうおゝがみ)。
解脱会中野支部初代支部長大塚スイ氏の先祖槙屋平兵衛が、文政六年(1823)京都伏見稲荷より御分霊をお祀りしたのがはじまりだそうで、解脱会の創設者岡野聖憲氏が当地を訪れた際、広く人々にその御神徳を分つべきであると感得したことで五柱の神を合わせ「五柱五成神社」を奉斎された。
御由緒
境内掲示より字体改行などそのまま記載
略縁起
一、主祭神
本殿
天圀蔵五柱五成大神
天日瑞穂造美尊、天豊穀食類媛命、天豊宇気比媛命
天太田地土命、天大市比売尊
正一位槙屋末広稲荷大明神
天五色大天空大神
摂社殿
天五色辨財天
碑(四)
富士浅間両龍王神 天圀蔵五柱五成大霊魂
天大圀主大霊魂 三社大口真大霊魂
一、祭日
月次祭 十七日、午の日
初午大祭 三月貮の午の日
当社の御祭神槙屋末広稲荷様は、文政六年(一八二三)四
月槙屋平兵衛京都伏見稲荷大社一之宮末広大神の御分
霊を勧請せられたものであります。降って昭和五年、宗教法人
解脱会開祖岡野聖憲師(御遷化後解脱金剛の法号を賜り皇室の
御菩提寺である京都東山の御寺泉湧寺に御分霊が安置されておりま
す)が当地に御巡錫の折末広稲荷様の極めて高い御神徳を感
ぜられ「この稲荷は單に一族一門の守護神としておくべきでな
い、広く世の人々にその御神徳を分つべきである」と申されて、
新たに衣・食・住一切を司る稲荷の大祖神として頭書の
五柱の神々を天圀蔵五柱五成大神と名付け奉り、併せて、
他の神々も同時に斎祀されたものであります。
又当社は「日限りのいなり」と呼ばれ、お願いごとはす
べて七日間或は二十一間というように、日限りで毎日お願
いし、大願成就には必ず五色のお旗をあげるよう定
め伝えられております。
五柱五成神社
眷属社
御本殿側の境内にある。
狐像の安置所っぽい。
天五色辨財天
弁財天については由来無し。
本殿の扉にも十二菊花紋。金の御幣と神鏡。
富士塚
弁財天社の前にある。
四枚の石板があり、それぞれに祭神名が刻まれている。
中央
「大塚家 天猿田彦大神 冨士浅間両龍王神 天五色大中小天空神 昭和丁丑春建」 (※昭和12/1937年)
下段右
「大塚家 昭和丙子建立 三社大口眞大霊魂」 (※昭和11/1936年)
下段中央
「大塚家 昭和丙子建立 太古以來土地守護 天圀蔵五柱五成大霊魂 末廣稲荷」
下段左
「大塚家 大黒天 天大國主大霊魂 惠比壽 昭和丙子建立」
写真はすべて2017.4.23 撮影
備考
社号 五柱五成神社 ごしゃいなりじんじゃ
祭神 天圀蔵五柱五成大神 天日瑞穂造美尊
天豊穀食類媛命 天豊宇気比媛命
天太田地土命 天大市比売尊
正一位槙屋末広稲荷大明神
天五色大天空大神
創建 文政六年(1823)
祭日 月次祭 十七日・午の日
初午大祭 三月貮の午の日
末社 天五色辨財天
眷属社
社務所
所在地 東京都中野区本町4-30-26
その他