今回の参詣は、新宿区中井の中井御霊神社へ。

ここは新宿の最西端、西は中野区上高田、北には目白大学がある。

 

御靈神社と書かれた社号標には「陸軍大将吉田豊彦謹書」とある。明治後期から昭和前期にかけて活躍した軍人で、陸軍省兵器局長、陸軍造兵廠長官、陸軍技術本部長等を歴任した人物。

 

 

 

手水舍

鉢には「御霊大明神 惣講中 天明二寅年二月」とあり、この年は西暦1782年で十代将軍徳川家治の御代、天明の大飢饉が始まったころで、浅間山が噴火し、田沼意次の嫡男田沼意知が暗殺された頃。

 

 

 

狛犬1

右が阿形で、左が吽形で伏して崖下の子を見守る姿をしている。

 

 

 

境内は広く、よく整備されていて綺麗。

江戸時代後期には当社で雨乞いの神事が執り行われていたようで、龍王神の神号と絵が描かれた筵旗(むしろを竹竿に結んで作った旗のこと。茣蓙とほぼ同じ。)が文化財として現存している。この神事は関東大震災の頃までは続いていたのだそう。

 

 

 

狛犬2

正徳五年(1715)の奉納。新宿区内最古の狛犬で新宿区指定有形民族文化財。

 

狛犬の御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

新宿区指定有形民俗文化財

中井御霊神社の狛犬

  所在地新宿区中井二丁目二十九番十六号

  指定年月日平成二十七年二月六日

 正徳五年(一七一五)に下落合村の氏子等により奉納された

一対の狛犬で、社殿向かって左側が阿形、向かって右側が吽形

である。いずれも毛の描写など、比較的丁寧な装飾が施されて

いる。

 台座には銘文があり、村名の一部が剥落により判読できない

ものの、施主の名や奉納年月が確認できる。総高は阿形一六一・

五センチ、吽形一六二・五センチで、二段ある台座のうち下段

は後に補われたものである。

 現存する区内最古の狛犬であり、都内でも比較的古い時期の

狛犬である。近世から近代における中井地域の信仰や鎮守社と

地域との結びつきを示す石造品として重要である。

 平成二十七年三月

 新宿区教育委員会

 

 

 

 

拝殿前

 

 

 

彫刻

木鼻上の龍。

鱗の逆立ち具合といい髭の勢いといい力強さを感じる作風。

 

 

 

社号額

「御霊大明神」と書かれ、奉納年や奉納者名は記されていないものの、とても時代を感じさせる雰囲気。

 

 

 

メッキか真鍮かは見た目ではわからないけど、金属製で珠暖簾の様になっている御幣は珍しいかな。

 

 

 

 

文化財の御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

新宿区指定有形民俗文化財

雨乞のむしろ旗

  所在地 新宿区中井二丁目二十九番十六号

  指定年月日 昭和六十二年六月五日

 中井御霊神社の雨乞行事に用いられた

むしろ旗で、八枚あったうち一枚だけ残っ

たものである。文化・文政年間(一八〇

四〜三〇)頃のものと推定され、縦一八

二センチ、横九一センチ、表面には「龍

王神」の墨書が、裏面には龍の図が描か

れている。

 雨乞の行事は関東大震災頃まで行われ

ていたという。

 

新宿区指定有形民俗文化財 古文書

  中井御霊神社文書

  指定年月日 平成二十六年三月二十六日

 中井御霊神社に伝えられている古文書で一九七件ある。その構成は、寛延二年

(一七四九)の「正一位稲荷大明神安鎮之事」を最古とし、昭和十八年(一

九四三)の「安産御守授与氏名控」まで、江戸時代のもの八件、明治時代以

降のもの一八九件からなる。

 内容は、中井御霊神社と境内の稲荷神社の祭礼や寄進、社殿の普請、境内

地の変遷などに関するものが大部分である。新宿区内に残る数少ない神社文

書として貴重である。

 平成二十六年三月

 新宿区教育委員会

 

 

 

稲荷神社

御本社向かって左側に鎮座。

 

 

 

鳥居の下に三宝に置かれたカボチャの石像が置いてある。

神饌の石造物を奉納する慣習が過去にあったのだろうか。

 

 

 

 

稲荷神社の狛犬

右が阿形で鞠を抱え、左が吽形で何かを抱えるような仕草をしているけどモノがない。

 

 

 

狐像

狛犬の奥、社殿の土台両脇に安置。

 

当稲荷社の祭礼は二の午。

 

 

 

 

 

写真はすべて2018.3.12 撮影

 

備考

社号 中井御靈神社

祭神

創建 鎌倉時代後期

祭日

末社 稲荷神社

社務所

所在地 東京都新宿区中井2-29-16

その他