今回の参詣は、杉並区上荻の荻窪八幡神社(おぎくぼはちまんじんじゃ)へ。

ここは杉並区の北西にあたり、荻窪地域の北側にあることから上荻(かみおぎ)と名付けられ、その全域が住宅街。北端を通る青梅街道の「荻窪警察署前」交差点の南に当社が鎮座します。

 

 

 

当社は平安時代前期の寛平年間(889-898)の創建、祭神は応神天皇と伝わる。

永承六年(1051)の奥州征伐の折には、源頼義がここに宿陣し戦捷を祈願、11年後に凱旋するにあたって社を改修し、武将を留めて永く祀らせたという。社の南一帯の丘地を館としたことから、この辺りを城山と呼んでいたのだそう。

 

 

 

手水舎1

狛犬の吐水。昭和二十八年(1953)製造。

 

 

 

 

当社は神門と回廊付きのとても大きな神社。

神門は昭和四十二年(1967)の造立で総檜造、回廊はコンクリート製。

神社関連の雑誌やテレビでも、取り上げられているのを目にしたことがおそらく無い。正直、杉並区にこれほど大きな神社があるとは知らなかった。同区の阿佐ヶ谷神明宮よろしく、訪れて初めてその大きさを知った神社。

 

 

 

手水舎2

回廊内右手側、二つ目の手水社と奥には社務所。

 

 

 

道灌槙

当社には太田道灌も訪れているそうで、豊島氏の石神井城を攻略するにあたって軍神祭を行い、社前にあるこの槙の木を植えたのだとか。(太田道灌と豊島泰経の攻防についてはこちらの豊島泰経の項に詳しく書いてあります。)

 

槙の御由緒

 関東管領であり、武蔵の領主であった、上杉定政に対し、

家臣の長尾景春が武蔵を侵さんとして石神井城主・豊島泰

経及びその甥の平塚城主・豊島泰明と款を通じて反逆した。

 之を激怒した上杉定政は江戸城主太田道灌に出陣を命じ

た。

 道灌は文明九年四月十三日平塚城を攻撃し四囲より火を

放った。この急報に豊島泰経は道灌軍の背後を突き、江戸

城へ進撃せんとして江古田、沼袋の線で石神井城へ進撃す

る道灌勢と遭遇し後世「江古田の合戦」と伝えられる戦斗

を開いたが豊島軍利あらず、道灌軍は騎虎の勢をもって石

神井城に迫った。

 文明九年四月十六日、道灌軍は東及南より石神井城を攻

撃するに当って、道灌は当社に詣で戦捷を祈願して軍神祭

を行ない、槙樹一株を献植した。

 これが今当社に伝わる道灌槙で、一根二幹であったが、

昭和九年の暴風雨で一幹折損し一幹となり、樹齢五百年を

経た今なお、「千年の社・百尺の高野槙」と称えられている。

 昭和六十一年三月、杉並区・天然記念物(植物)に指定

された。

 荻窪八幡神社社務所

 

 

 

狛犬

右が阿形で鞠を抱え、左が吽形で子抱き。

 

 

 

御由緒

公式ホームページより引用

 ご由緒

当八幡神社は寛平年間(889-898)に創祀されたものと伝わり、

永承6年(1051)に、鎮守府将軍源頼義が奥州東征の途次、

此処に宿陣し、戦捷を祈願、後康平5年(1062)凱旋するに当っ

て社を修め、盛大な祭を行い、武将を駐めて永く祀らせた。

降って文明9年(1477)、太田道灌が石神井城を攻略するに当

たり軍神祭を行い、社前に高野槙を植栽した。これが今なお

社頭に聳える「道灌槙」である。

平成23年(2011)3月には東日本大震災により、東参道の大鳥

居が倒壊したが、氏子崇敬者の奉賛により同年9月、同規模の

石造鉄骨入り大鳥居を再建した。


 

 

この回廊を見て、もしや17時ごろに閉められてしまうのではと思って、境内よりも先ず参拝と撮影を済ませていたら、案の定きっちり時間どおりに閉門。

参拝客の多い少ないにかかわらず、神社仏閣の門限というのは非常にシビア。けれど1分を許すなら2分も許さねばならない堂々巡りになるだろうから、結局一生に一度の旅行であったとしても、時間に気を付けなければならないのはどうしても参拝者側になる。他の参拝者が目の前で門を閉じられていて、ちょっとかわいそうだったけど。

 

 

 

祓戸

神門前の鳥居脇にあり。

 

 

 

小俣金治先生之像

かつて当社宮司として活躍された人物のよう。

代々宮司は小俣氏が継承しているようで、現在の宮司も小俣氏。また氏子やこの荻窪地域には小俣姓とともに小張姓が多い。ちなみに中央区の椙森神社の宮司は江戸時代から代々小針氏。当社はあまり史料に登場しないので関係があるかまではわからないけど、ちょっと気になる。

 

御由緒

小俣先生は父祖代々神職の家に生

れ明治三十五年小学校に奉職

三十有余年先生の薫陶を受け

し者数千名に及ぶ又荻窪八幡神

社神職として五十有余年郷土の発

展に尽す茲に先生を敬慕し寿

像を建て崇髙なる人徳を偲ひ

教訓を後世に伝う

 昭和三十七年九月吉日

 小俣金治先生を讃える會

 

 

 

境内社

大鳥居入って右手側。

 

 

 

五社宮

正面向かって右側のお社。

左から

祓戸神社 祭神:瀬織津姫神・速開津姫神

琴平神社 祭神:大物主神

須賀神社 祭神:須佐之男命

稲荷神社 祭神:保食神

御嶽神社 祭神:太詔戸神

 

 

 

台座下の左右に狐像がいっぱい。

 

 

 

 

猿田彦神社

正面向かって左側のお社。

左の小社は秋葉神社。祭神は火之迦具土神。

 

 

 

 

備考

社号 荻窪八幡神社 おぎくぼはちまんじんじゃ

祭神 応神天皇

創建 寛平年間(889-898)

祭日 1月1日歳旦祭、2月3日節分祭、初午日初午祭、17日祈年祭

    6月30日大祓、9月15日前後日曜日大祭、12月28日大祓

末社 猿田彦神社、秋葉神社(火之迦具土神)

    五社宮( 稲荷神社(保食神)・祓戸神社(瀬織津姫神・速開津姫神)

    須賀神社(須佐之男命)・琴平神社(大物主神)・御嶽神社(太詔戸神) )

社務所

所在地 東京都杉並区上荻4-19-2

その他 南荻窪天祖神社を兼務