今回の参詣は、奥沢神社よりちょっと足を延ばして九品仏浄真寺(くほんぶつ・じょうしんじ)へ。
ここは東急大井町線九品仏駅より徒歩0分、駅舎から北に出てほぼ目の前。前回の奥沢神社からも歩いて15分程度。
世田谷区自体がほぼ全域、鉄道の開通によって発展した街といった雰囲気で、この辺りのもそんな中の商店街といったところ。もっとも、浄真寺や豪徳寺、北沢八幡宮といった、世田谷区を代表する大きな寺社でさえ、参道の仲見世や門前茶屋が起源となっていそうな商店街がほぼ皆無で、住宅街の中から突如として境内が現れる不思議な発展模様を見せてくれる。
奥澤城跡
800mほどある参道を進むと見えてくる総門。
ここ浄真寺は、室町時代から武蔵吉良氏の家臣大平氏の居城奥沢城があったところ。豊臣秀吉による小田原征伐の後は廃止され、江戸時代初期に幕府から跡地が下賜され、珂碩上人(かせきしょうにん)によって開創された。
総門に掲げられた『般舟場(はんじゅじょう)』は般舟三昧を唱え行道念仏を行う道場であることを表している。
浄真寺もまた都内で人気の紅葉スポット。
ものすごく混むというほどではなく、気軽に紅葉狩りと寺院散策を楽しめるのが魅力。
閻魔堂
総門をくぐってすぐ右手側にある。冠や衣装の細工が細やか。
手水舎
開山堂手前にある御手水は、とても珍しい鷺草(サギソウ)の注ぎ口。
これはおそらく、下記の鷺草伝説を意識して作られているのではないかと思われる。またかつては境内に鷺草園というのがあったそうだけど、現在はすべて駐車場になってしまったとか。
鷺草伝説
武蔵吉良氏の家臣で奥沢城主の大平出羽ノ守(または大平清九郎とも)の愛娘・常盤姫が、主家吉良頼康公の10番目の側室として寵愛を受けたが、このことに嫉妬したその他9人の側室の計略によって、無実の罪によって追手に迫られ、上馬(かみうま)の地で自害してしまう。姫は追われる前に、父・大平出羽ノ守に助けを求める手紙を白鷺の足に結び託したものの、折からの雨に濡れた手紙が重くなり白鷺が息絶えてしまう。村人によって亡骸は丁寧に葬られたが、ある夏その埋めた場所からは、まるで白鷺が舞い立つ姿にも似た美しい花が一斉に咲き、人々は常盤姫の運命を偲んで鷺草と名付けたという。
なぜハトにしなかったかが謎。
開山堂
珂碩上人(かせきしょうにん/1618-1694)の御像が安置されているらしい。
紫雲楼
総門の先にあるのは寛政五年(1793)に建立された仁王門。別名を紫雲楼といい、楼上には阿弥陀如来と二十五菩薩、風神雷神像を安置。
楼下には密迹力士・金剛力士の像が左右に配されている。
鐘楼
鐘は寛永五年(1628)に造られたもの。
鐘楼の巨大さがすごい。
龍護殿
当山の本堂。なぜ龍護なのかは掲示もホームページもないし、幾つかの書籍にも無かったので不明。
九品山 唯在念佛院 浄真寺
くほんざん ゆいざいねんぶついん じょうしんじ
延宝六年(1678)に創建した浄土宗の寺院。
御本尊は釈迦如来、本堂に対面している上品堂・中品堂・下品堂の三つのお堂には、それぞれ三体ずつ阿弥陀如来が安置されていて、これが由来となって九品仏の名で知られる。
江戸名所図会
巻之三 天璣之部 より
九品山浄真寺 碑文谷より一里あまりを隔てて西南の方、奥沢村にあり、
浄土宗にして唯在念仏院と号す、京師知恩院に属せり、
延宝六年戊午、珂碩和尚開基するところの浄刹にして、九品九会の霊場たり、
[本堂]本尊阿弥陀如来、丈六の木像なり、額「龍護殿」、当寺珂慶上人筆、
[内仏]本尊阿弥如来の像、聖徳太子四十二歳が御とき、一切衆生の災難を
除かんため彫造ありしとなり、珂碩上人御年十八のとき、深川霊岸寺の傍らに
庵室をむすび、念仏修行なしたまふ頃、ある暁一人の高僧、この本尊を背負ひ
来つて、その来由を示して珂碩上人に附属あり、それよりして上人の智徳盛ん
にして、貴賤の道俗利益をかうむる者少なからず、ゆゑに九品仏彫造の資財
乏しからず、この霊像の助けにより諸仏天三万六千体、ことごとく成就したりといふ、
[中品堂] 右に並ぶ、中品中生・中品上生・中品下生、以上三品の阿弥陀如来を安ず、
[上品堂] 本堂に向かふ、上品中生・上品上生・上品下生、以上三品の阿弥陀如来を安ず、
[下品堂] 左に並ぶ、下品中生・下品上生・下品下生、以上三品の阿弥陀如来を安ず、
以上九品の阿弥陀如来九体を安置す、
おのおの座像にして一丈六尺あり、仏像一体ごとに円光ありて、附するところの
小仏一千十一軀づつ、九体ともにしかり、いづれも開山珂碩上人の彫造にして、
開山つねに一日三銭を貯へ、造仏の費えに充つ、寛文四年より同七年に至り、
その間わづかに四年、つひに九品の弥陀像全く成就することを得たりとなり、
この本尊、初めは霊岸寺の地にありしが、洪波のために破らる。後延宝六年戊午
ことごとくこの地に移さるるとなり、あるよひといふ、珂碩上人、諸堂成らずして
遷化せらる、従弟珂憶上人、河州玉手山安福寺より来りて建立すといふ、九品堂
の額は、いづれも珂憶上人の筆なり、
本堂からの景色。
奥沢城の土塁跡とも伝わるほんの少し盛り上がった丘があり、このため参道からだと見えなかった白砂のお庭が見える。
九品仏
中央に上品堂、右が中品堂、左が下品堂となっていて、正対する本堂を穢土(えど)、三堂を浄土に見立てている。
現在2014年から2034年までの20年に及ぶ歳月をかけて、仏像と仏像後背の修繕をしていて、阿弥陀様も何体かお留守。二年に一体のペースで、再び九体揃うのはあと15年。どちらかと言えばまだ始まったばかり。
(修繕はおそらく右側の中品堂の三仏から、その中でも右端の中品中生から始まって、今年から2年は中品下生、15年後の最終が下品下生かな。)
上品堂 じょうぼんどう
まずは中央の建物・上品堂へ。
向かって左から上品下生(じょうぼんげしょう)・上品上生(じょうぼんじょうしょう)・上品中生(じょうぼんちゅうしょう)。
後背にはそれぞれ一千十一体ずつ小さな仏さまがあり、これは九体すべてに共通。
中品堂 ちゅうぼんどう
上品堂の右隣り。
向かって左から中品下生(ちゅうぼんげしょう)・中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)・中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)。
現在(2017年12月訪問時)は改修中のため右端中品中生のみ。
下品堂 げぼんどう
上品堂の左側。
左から下品下生(げぼんげしょう)・下品上生(げぼんじょうしょう)・下品中生(げぼんちゅうしょう)。
観音堂
最後に観音堂。
本堂の裏側、開山堂との中間、丘の上にある。とくに中は拝見できず。
境内写真
ここから下は、ひたすら境内の紅葉やイチョウの風景。
写真はすべて2017.12.3 撮影

























