今回の参詣は、台東区下谷の小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)へ。

ここは上野からは北東、入谷駅のやや北側にあって、都内では当社と町田市の町田神社しかない程珍しい小野篁(おののたかむら)を祀る神社。

 

 

狛犬

右が吽形で、左が阿形。持ち物は無し。

 

 

 

祭神

小野篁は、平安時代前期の公卿。野宰相の異名を持ち、昼は官吏、夜は冥府にて閻魔大王を補佐し、勧修寺内大臣を称した藤原高藤や西三条大臣藤原良相(よしみ)が篁の執り成しによって生還したという伝説が残り、小野小町の祖父ともいわれる。

また配祭神として、渡会天満宮(菅原道真)が祀られている。

 

 

 

手水舎

鉢手前にある”大典記念”は昭和三年(1928)の昭和天皇の即位の時の奉納を表しているのか。

 

 

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

小野照崎神社由緒畧記 ※1

 御祭神小野篁命 御配神菅原道眞命

往昔祭神御東下の砌、上野照崎の地に御遺跡を留

め給ひしを地民渇仰して上野殿を尊稱し、後に照

崎の地名をとりて小野照崎大明神と尊崇奉齋す

るを鎭座起源とす、其後社殿大破せしを江戸太郎

重長領主となるに及び武運を祈りて再建し、星霜

移り寛永年中上野東叡山草創の砌、坂本村長左衛

門稲荷境内(現在地)に遷祀奉りし由緒正しき神社

にして、現社殿は慶應三年の御造營にて大正地震

火災竝に大東亞戰爭にも聊の被害も蒙る事無く、

氏子十八ヶ町の産土神として御神驗愈顕著也、御  ※2

祭神小野篁命は敏達天皇の苗裔にして、嵯峨天皇

に仕え博學俊才を以て知られ殊に詩歌に長じ、淳

和天皇天長年中には令義解を選じ、下野國の任を

蒙りて足利に至るや我國學校の創始たる足利學

校を創立、孔子像を祀り國人に書經を敎ふ、亦百人

一首の「わだの原八十島かけてこぎ出ぬと人に

は告げよあまのつり舟」の詠人としても知らる、

御配神管原道眞に就いては江戸二十五社大神

の一つにして渡會天滿宮を傳稱し管原尊像を回

向院より遷祀す

 

※2 御神驗愈顕著也=神験ますます顕著なり

※1 照の字は、昭の下に火

 

 

 

彫刻

頭貫の龍と木鼻の獅子。

 

 

 

まゆ玉結び

神聖な捧げものとしての絹に、願いを育むという思いが込められている。

なんとなく蜘蛛の糸っぽく見える。

 

 

 

絵馬所

学問の神、菅原道真の絵馬が多く見られる。

最近読んだ「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」という本によれば、道真が能書家だったと記したものが無く、直筆も残っていないらしい。

ただ、小野篁の方が、草隷(書道)の巧みさは王義之に匹敵すると称され、皆手本にしたといわれ、詩歌や弓馬にも秀でた人物。しかも出世なら父・岑守(みねもり)が従七位上から従四位上まで十階級昇進し、祖父・永見(ながみ)は従五位下征夷副将軍に任ぜられている。

 

 

 

御嶽神社・三峯神社

境内南側大鳥居の先にあり。

御嶽神社の御祭神は、國常立命 例祭日八月一日

三峯神社の御祭神は、伊邪奈岐命伊邪奈美 例祭日六月一日

由緒

御嶽神社信仰者に依り古く(年代不詳)奉齋せられし御嶽神社々殿

に大正五年三峯神社を合祀す

 

 

 

狼像

山岳信仰の神社なので、狐像ではなく、おそらく狼像なのかな。

右が阿形で左が吽形。持ち物は無し。

 

 

 

内陣。

 

 

 

 

庚申塚

本社殿手前にあり。

”日本三庚申”のひとつ。最近インスタ映えすると話題の、京都金剛寺の八坂庚申堂、大阪四天王寺の庚申堂と並び称されるも、ウィキペディアでは”現存していない”扱いを受けている。

 

 

 

中央に”青面金剛”と刻まれた石碑を置き、中には「寛永十二乙亥天九月十二日」、「延寶三天乙卯九月十一日」、「延寶四天丙辰十月十一日」、「延寶八庚申天九月四日」といった年代のものがある。寛永十二年は西暦1635年、延宝三~八年は1675~1680年。

 

 

 

力石

庚申塚の周囲に安置。

石の半分が土中に埋まっているものもあるが、「四拾二貫目(157.5kg)」、「五拾五貫目(206.25kg)藤兵衛・八五郎」、「六拾貫目(225kg)亀治郎・藤兵衛・八五郎」、「六十三貫目(236.25kg)藤兵衛・亀治郎」の石が奉納されている。いずれも奉納年は記されていないようだったが、信じられないような怪力三人衆が、ここ旧坂本地区にいたようだ。

 

 

 

富士塚

境内の北、本社殿左側にあり。

元禄年間(1688-1704)に築かれた富士塚で、通称下谷坂本富士。国の重要有形民俗文化財に指定されている。

毎年6月30日、7月1日の二日間だけ開放され、この期間が休日でない場合であっても振り替えは無い。参拝したこの日は11月だったので、遠方から撮るのみ。

 

 

 

浅間神社

まず、入り口左脇のお社。富士山の麓にある浅間大社に倣ったものだろうか。

御祭神 木花咲耶姫命 例祭日六月三十日七月一日。

由緒

元禄年間富士信仰東講社の人々本山を模して岩石を積み

五十餘坪の築山を完成し山麓に浅間神社を勧請奉齋す

 

 

 

 

猿像

浅間神社の神使が猿だからだろう。しゃがみこんで拝んでる姿がかわいらしい。

 

 

 

一般的に富士塚は、富士山の火山岩などを運んで積み上げたものをいう。当富士塚のゴツゴツとした岩肌に、様々な時代に奉納された富士講の石碑なども建っているのが窺える。

 

 

 

稲荷神社・織姫神社

境内の西、神楽殿の左側にあり。

社殿は平成二十年五月に新築。

 

 

 

狐像

京都伏見稲荷大社や、都内では西早稲田水稲荷神社ぐらいにしかない跳ねたり臥せっている姿の狐。

 

 

 

手水鉢

使用されていない鉢だが、正面には星型の紋の中央に織の文字が陰刻されている。

 

 

 

本社殿前の御由緒には稲荷神社の由緒のみだったので、織姫神社においては祭神についても不明。

御祭神 宇迦之魂命 例祭日四月初午

由緒

長左衛門稲荷と稱し本社遷座前より當地に奉齋せらる

 

 

 

写真はすべて、2015.11.7 撮影

 

備考

社号 小野照崎神社 おのてるさきじんじゃ

別名 小野照崎大明神

祭神 小野篁命 菅原道真公

創建 仁寿二年(852)

祭日 5月中旬例大祭 7月1日山開き

末社 浅間神社・稲荷神社織姫神社・

   御嶽神社 三峯神社 琴平神社

社務所 御朱印御守り神札授与御祈祷受付有

所在地 東京都台東区下谷2-13-14

その他

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