今回の参詣は、千代田区三崎町の三崎稲荷神社(みさきいなりじんじゃ)へ。

古くはこの辺りが神田川にせり出した岬だったからとか、日比谷入江がこの辺りまであり、同様に岬の様子をしていたから起きた地名だという。

当社は東京ドームの南側、神田川に架かる水道橋を越えると右手に見えてくる、通称三崎神社の名前で親しまれる宇迦之御魂神・須佐之男神・大市姫神・大物主神を祀る神社。

 

 

 

鳥居下の社号標には「内務大臣 床次竹二郎敬書」とある。床次竹二郎(とこなみたけじろう)は、明治後期から昭和初期にかけての政治家で、他に鉄道、逓信大臣を歴任し、万年首相候補と呼ばれ度々首相候補になるも果たせなかった人物。

 

 

 

手水舎

水の注ぎ口がちょうど龍か一角獣の首のような姿をしている。

 

 

 

狛犬

木々に覆われて正面から撮れないので側面から。

右側が阿形で鞠を抱え、左が吽形で子抱き。

 

 

 

由来・沿革 千代田の稲荷より参照

豊島郡三崎村の鎮守社として現在の本郷一丁目に創建(仁安ないし建久期)された稲荷神社で、大永四年(1524)に北條氏綱が千代田城(江戸城)に住んでからは、当社に社地や社殿を与えて崇敬した。

天正十八年(1590)には徳川家康が入城すると造成工事にともない現:文京区後楽に、万治二年(1659)に外堀工事のため現:日本大学法学部図書館辺りへ、万延元年(1860)講武所開設のため現:水道橋駅辺り、明治三十八年(1905)に甲武鉄道開通のため現在地に遷座している。いずれにしても現在地から半径1kmと離れていない近場で転々としてきた。

 

その中でも、万治二年の「御外曲輪御掘割幷御堤御普請(外堀工事)」において当社が移転された際、仙台藩が担当する掘割区間に築かれた堤が一夜のうちに崩れることが度々起こった。その箇所が当社の跡地であったことから、松平陸奥太守(伊達政宗)が遷座における神祟りなく普請が成就するよう片倉小十郎に祝詞奉幣を捧げさせ、完成後に政宗が本社拝殿の修造を行っている。

 

また当社は徳川家、とくに家光自身が崇敬するのみならず、参勤交代において大名小名(ここで言う小名は、石高五万石未満の大名を指すものと思われる。)が登城する場合に参拝した。また幕府の許可がいる開帳や富くじ興行も行える社格があったという。

 

現在の御社殿は昭和38年(1963)に造営されたもの。

 

 

 

絵馬

お百度石の絵馬自体珍しいし、お百度石に括られるのも珍しい。

 

 

 

写真は2008.7.20(鳥居前)、2017.1.21(他) 撮影

 

備考

社号 三崎稲荷神社 みさきいなりじんじゃ

通称 三崎神社

祭神 宇迦之御魂神 須佐之男神
    大市姫神 大物主神

創建 伝建久(1190-1198)以前ないし仁安年間(1166-1168)

祭日 1月1日歳旦祭、1月9日新年祭・祈年祭、

    2月3日節分祭、5月9日例大祭(偶数年神輿渡御、平日の場合あり)

    6月30日夏越大祓式、9月9日秋季例祭、

    11月25日新嘗祭、12月31日年越大祓式

末社

旧社格 村社

社務所 御朱印御守授与御祈祷受付有

所在地 東京都千代田区三崎町2-9-12

その他 北条氏綱、伊達政宗社殿造営