今回の参詣は、六本木の久國神社(ひさくにじんじゃ)へ。

六本木一丁目(六本木二丁目交差点)より西側、アメリカ大使館宿舎前に鎮座する。

当社は、太田道灌奉納の太刀「久國」に因んだ社号の稲荷神社。

 

 

 

当地は江戸時代に武具を掌る具足奉行の別名”御箪笥奉行(おたんすぶぎょう)”に由来し、御簞笥町(おたんすまち)と呼ばれた武家地で、近代では麻布箪笥町と称し、隣の麻布谷町と合わせて谷箪町(たにたんちょう)と呼ばれた地域。

 

 

狛犬

鳥居前に安置。

右が阿形で獅子、左が吽形で狛犬。都内の神社においては、獅子と狛犬が明確に表されているのは希少。

 

 

手水舎

 

 

 

久国神社 ひさくにじんじゃ

創建年代は不詳で、江戸城が拡幅される以前と思われる千代田村紅葉に鎮座していた。徳川氏の江戸城(現在の形)になってからは、西の丸北側に紅葉山という名の山があった。この紅葉山由来の神社が都内にはいくつもある。(平河天神社、圓福寺夜行鬼子母神、神楽坂正蔵院、舟町西迎寺、小網町明星稲荷、山王日枝神社、道玄坂千代田稲荷、大塚吹上稲荷、木場洲崎神社など、寛永8年から明治までは浅草寺由来の東照宮が紅葉山にあった。)

 

紅葉山は、今では皇居の宮内庁庁舎などの敷地となっている非公開エリア。3年ほど前から近くの乾通りが年に一度桜の時期に公開され、通りの”局門”の向こう側にこの紅葉山があった。それも江戸時代初期にはそこに東照宮や将軍の御廟ができたが、明治政府によって廃止された。

 

 

 

御府内備考続編によれば、長禄二年(1458)に太田道灌が江戸城を築き、寛正六年(1465)に城郭の鎮守として稲荷大明神を溜池に勧請、永禄三年(1560)に現在地に遷ったという。

 

由緒

御府内備考続編より

久国神社 除地三十六坪持添年貢地百三坪見捨地十八坪

当社者 太田道灌長禄二年新城を武江に築く

其後寛正六年稲荷大明神を城隍の鎮として

溜池に祭る 永禄三年其地公用に属して当所に

遷さる 旧地溜池に神木の榎御座候

毎年二月初午祭礼翌日湯花神楽興行仕候

神体吒枳尼天銅像三寸弘法大師作

 

 

 

神号額

当社に勝海舟直筆の掛け軸一幅が納められており、額はその写しと思われる。

銘に「海舟勝安房⚫︎⚫︎」とある。最後の二字が読めなかったが、諱の義邦ではない。

 

 

 

猿田彦大神

本社殿左隣。4月11日に例祭斎行。

 

 

 

写真はすべて、2017.4.4 撮影

 

備考

社号 久国神社

旧称 久國稲荷 麻布谷町稲荷宮

祭神 倉稲魂命

創建 寛正六年(1465)

祭日 4月11日 猿田彦例祭 6月8日例大祭

末社 猿田彦神社

社務所 御朱印授与有

所在地 東京都港区六本木2-1-16

その他