今回の参詣は、日本橋小伝馬町の竹森神社へ。

当社は、龍閑(りゅうかん)児童公園の右隣りに鎮座する稲荷神社。

公園内で千代田区岩本町と、中央区日本橋小伝馬町とに分かれる区の境目でもある。

 

 

 

 

江戸七森

江戸に七森と呼ばれる鎮守の森があったそうで、その七森にあたる七つの神社が現在何処に在るのか、大変興味深い。

当該社に共通している事は、「竹森」のように「○○(の)もり」と呼ばれた、鎮守の森そのものを指した名称を冠している事で、現在の神社名としては、例えば、「烏森(からすもり)神社」、「椙森(すぎのもり)神社」、「柳森(やなぎもり)神社」などがそれに当たる。

 

当社がその七森の内のひとつとされ、七森以外にも、「三森」、「八森」、「二十一森」があるらしく、どうも三森(前述の三社)を基準に、いくつか足したり入れ替えたりしたものだろうと思われる。

 

御由緒に七森が記載されていたので、それについての詳細は下記の御由緒欄に記載する。

 

 

 

 

狐像

阿吽の区別はなく、右が巻物(教典)を咥え、左が宝珠を咥える。持ち物は無い。

 

 

 

 

竹森稲荷

私が調べたところ、当社が昔からあるという事が確認できるものは、安政期の古地図に「竹森イナリ」と見えるのみである。

 

江戸時代に刊行された書籍35冊分を収録した、「東京都神社史料」の第二輯に当社「竹森神社」または「竹森稲荷」は確認できなかった。また「江戸惣鹿子名所大全」の中に名稲荷として24社取り上げられているが、その中にも当社は確認できない。(ちなみに宗教法人名簿にも無い)

 

それならばと、史料に掲載されている中で、七森やら二十一森に該当しそうなその他の神社を調べてみても、竹森神社はもちろん、「江戸七森」という表現さえ確認できない。

 

 

 

御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載

小伝馬町三丁目の守護神である

 

「竹森神社」は、江戸時代よりこの付近に

竹やぶが多く、竹につながる町、竹職人の

町ともいわれ、竹藪にちなんで竹森神社

としたと言われている。

神体は伏見稲荷からもらいうけ、俗に

「江戸七森」の一つに数えられて、江戸

市中、数多い稲荷神社の中で由緒深い

ものとされている。

  江戸七森

「椙森」すぎのもり 堀留

「烏森」からすもり 新橋

「初音森」はつねのもり 馬喰町

「柳森」 柳原土手

「あずまの森」 向島

「笹森」ささのもり 谷中

「竹森」 小伝馬町

 

 

江戸にあまた在る神社の中には、鎮守の森を有する神社もまた沢山あったが、『江戸七森』というものは、その中から、いつ、どういった経緯と意図で定められ、何によって知られるようになったのだろうか。

 

その辺りがどう検索しても、自分が持っている幾つかの書籍にも出てこない。無いと分かれば益々探したいところ。今後鎮守の森を重点的に探して、それっぽくリストにまとめてみたい。

 

 

 

 

写真は、2010.2.11、2013.7.21撮影

 

備考

社号 竹森神社

別名 竹森稲荷

祭神

創建

祭日

末社

社務所 常時不在

所在地 東京都中央区日本橋小伝馬町19-4

その他 江戸七森の一