今回の参詣は、前回に続き成子天神社の境内遺構。
第二五五回 その2 成子天神社境内末社と境内遺構 →今回
以上、2回に分けて掲載します。
神輿庫
楼門くぐって最初に見える建物。三基ある内、向かって左側が「上町」と札が掲げられた神輿で、中央は本社神輿だとして、右側は何神輿か説明が無いためわからない。
向かって左から「上町(三宮)」、中央「御本社」、右「二宮」の順かな?
右側の神輿
中央の神輿
鳥居や扉・桝組など諸々金一色ということからみても御本社だろうと。。。細工もすごいし。
上町の神輿。
こちらは鳥居や屋根に彫刻が施されているのが特徴。
神楽殿
境内左側。とても大きな神楽殿。
例大祭期間中の9月23日に舞楽、24・25日は里神楽が奏上される。
納曽利と蘭陵王の舞楽は観てみたいかな。
境内末社
神楽殿右手に鎮座。
左の黒いお社から大鳥神社、大神宮、鳴子稲荷、水神宮。
大鳥神社
日本武命 金銀財宝ノ神
大神宮
天照皇大神
鳴子稲荷神社
宇迦御魂命 衣食住ノ神
伏見稲荷大社を源流とし、農耕・商売繁盛・現世利益の神
社殿前に二体一対と、足元に四体二対。
水神宮
水波能女命
命の水 灌漑の神、井戸の神
水神宮の前にある井戸。
向島の三囲(三圍)神社でおなじみの三柱鳥居。原型は太秦木嶋神社。
㈱慶和製作所製の手押しポンプ。
「SUN TIGER PUMP」の文字と少しだけ複雑な造りがかっこいい。
というか、現代でも作られていることを知らなかった。
続いて、御社殿左手にある成子富士塚と浅間神社。
新宿区区内に現存する6つの富士塚の中で最大級。
富士塚 境内掲示より字体改行などそのまま記載
新宿区登録文化財 史跡
成子天神社の富士塚
所在地 新宿区西新宿八丁目十四番十号
登録年月日 平成二年六月一日
大正九年(一九二〇)八月に、成子天神社境内にあった天神山と
いう小山に富士山の溶岩を配して築かれたもので、区内で最後に
築かれた富士塚です。高さは約十二メートルあり、区内では最大
規模となっています。塚の北側には浅間神社の小祠があります。
富士塚は、江戸時代中期より、江戸庶民の間でさかんになった
富士信仰の遺構です。同業者を中心に富士講が組織され、神社の
境内に模造富士を築いて崇拝しました。
成子天神社の富士塚は、柏木・角筈地域(現在の北新宿・西新宿)
の人々を中心に組織された丸藤成子講が奉祀していたもので、最
盛期には約二〇〇名の講員がいましたが、現在は活動していません。
平成二十六年十二月
新宿区教育委員会
浅間神社
木花咲耶姫 美人・気丈・良縁・安産・子宝・芸術
登山前に先ず参拝。
木花咲耶姫象
実寸大? 浅間神社前にある。当社は石像が多いイメージ。
参拝を済ませて登山開始。
だいぶ険しそうな見た目。
山麓から上まで足場という足場には見えない。
登山道の幅は靴幅2コ分しか無い。
山頂はすぐそこ。
頂きにも浅間社(だと思う)がある。所要時間1分ないかな。
頂上から見た北参道側。
この塚ができた大正時代頃だったら、どんな景色が見えたのだろう。
神田川や小高い高田の穴八幡も見えたのかな。
塚から見て東南側に御社殿。
登った後に気が付いたこの案内板。
これらに当てはまる人は登頂禁止って意味だろうと思ったんだけど、どうなのだろう。
ウィキペディアの成子天神社項に東日本大震災以降は非公開で登攀できないとかあったけど、一応当社のホームページの富士塚項には、禁止の注意書きは無い。
というか、扉開いてたし。
参拝したのは1月の25日。鷽替え神事の日ということもあって、鷽を頂いて帰りました。