今回の参詣は、世田谷区大蔵の氷川神社へ。




当社は、近所の竜華山永安寺が別当で、旧荏原郡石井土郷(えばらごおりいわいど)大蔵村の鎮守。

ここ大蔵はかつて大蔵卿を兼任した中宮太夫石川朝臣豊人が居住したことに因む町名。

この石川豊人は、奈良時代の貴族で右大臣蘇我連子の孫で、叔母は藤原不比等の正室。豊人についての情報が無いためわからないが、甥の豊成が東山道巡察使(地方監察官)に任ぜられていることから、この付近に仮住まいを持ったのだろうか。








庚申塔


階段前左手にある庚申塔群。


右側から、庚申の「申」の字から「猿」連想したといわれる、「見ざる・言わざる・聞かざる」が彫られ、その上に青面金剛が乗る庚申塔。


中央は庚申塔の文字のみ。土台に協賛者の名前が並ぶ。


左はおそらく折れて残された塔の一部だろう。

塔の正面に「寛延二己巳(1749)」 「法界念」 「十月吉」 と読め、右横は 「施主」 「太 大華之」と読めるが欠けているため意味まではわからない。



御由緒1 階段の右手に掲示より字体改行などそのまま記載



氷川神社


 祭神 素盞鳴尊
 例祭 十月二日


暦仁元年(一二三八)に江戸氏が埼玉県
大宮市の氷川明神を勧請したものと伝
える。もと大蔵町の永安寺が別当であっ
た。永禄八年(十五六五)の棟札には「武
蔵国荏原郡石井郷大蔵村氷川大明神
第四ノ宮」と記されていた。
明暦二年(十六五六)に再建され、文政(一
八一八~三〇)の初めにも本殿および拝
殿が再建された。


昭和五十五年三月

世田谷区教育委員会








狛犬


階段登った鳥居の両脇に安置。右が阿形で子を抱え、左が吽形で持ち物はなし。


そして狛犬土台には、


當社者臣等之産土神

也曽為禱於武運長榮

今茲降魔狗二●堅石

造之而置 廣前以表

於報賽之㣲志云


弘化二年

歳次乙己季千穐日


願主

播磨明石藩

大谷寅七

藤原長次敬白


とある。 ●=軀っぽい字。

弘化二年は西暦1845年。









手水舎


残念ながら枯渇。近づいても水が出てくる様子はない。









御本殿


鎌倉時代から室町時代に当地の領主であった、桓武平氏後裔の江戸氏が、大宮氷川神社の御分霊をここに勧請し奉斎したのが当社の興り。

現在の社殿は昭和63年(1988)に再建されたもので、その社殿内に納められている本殿は、文政七年(1824)に再建されたもの。




御由緒2 境内掲示より字体などそのまま記載


世田谷区指定有形文化財(建造物)
大蔵氷川神社本殿並びに棟札


所在地 世田谷区大蔵六ー六ー七
所有者 氷川神社
指定月日 平成五年八月九日
形式及び規模
本殿 一間社流造、杮葺
桁行 四・五尺(一・三六メートル)
梁間 三・七尺(一・一二メートル)
向拝の出 三・三尺(〇・九九メートル)


棟札
〔社頭一宇〕 延宝三年(一六七五)
〔社頭一宇〕 元禄六年(一六九三)
〔幣 殿〕  文政三年(一八二〇)
〔本 殿〕  文政七年(一八二四)
〔鳥居二基〕 元文三年(一七三八)
〔宮鳥居〕  明和八年(一七七一)
〔石華表 石灯籠 湯立釜〕
       寛政七年(一七九五)
〔石華表同額石井燈籠一對〕
       文化八年(一八一一)
〔奉納金〕  文化八年(一八一一)
〔内容不詳〕 明暦二年(一六五六)
〔内容不詳〕 文政七年(一八二四)


 現存する最も古い年紀のある棟札は、何の目的で奉納されたのかは不明であるが、明暦

二年(一六五六)のもので、これを含めて十一枚の棟札があり、うち社殿造営に関するもの

四枚、鳥居に関するもの四枚、その他奉納金や上棟祭などに関するものが三枚となっている。

 社殿造営に関しては、延宝三年(一六七五)、元禄六年(一六九三)にそれぞれ「氷川大明

神社頭一宇」と記された棟札が一枚ずつあり、その後、文政三年(一八二〇)の幣殿建立と、

同七年(一八二四)の本殿再建の棟札がある。幣殿は現存していないが、現在の本殿はこの

文政七年再建のもので、昭和六十三年に再建された社殿の中に納められている。

 社殿の造営関係の棟札の他に、鳥居の造立やその他の奉納に関する奉納札がある。うち

二枚は木製の鳥居の造営と修復について、他二枚は寛政七年(一七九五)の石華表(石鳥居)

と石灯籠、湯立釜の奉納札、文化八年(一八一一)の石華表とその額、石灯籠の奉納札である。
 その他にも文化八年(一八一一)二は奉納金として三両三分が納められ、その金子を元に

土地を買い求めていることが記された奉納札などが残されており、これらの一連の棟札は、

社殿の造営のみならず、村社としての氷川神社の変遷や当時の庶民の信仰を知ることがで

きる貴重な史料である。
 本殿は、一間社流造の様式を持ち、屋根は柿葺、総欅造りである。正面に向拝が配され、

その下には木階五級が付けられる。木階下には浜縁が三面に廻り、身舎の四周には幅2尺 ※

の大床が付く。装飾は白木造りで、龍の丸彫をはじめ、鮎や賢人の浮彫、籠彫が施されて

おり、社殿に華美な彫刻を施すという、時代的特徴を良くあらわした建物である。
 棟札により、建築年代のほか、上平間村(現川崎市)の大工渡辺喜右衛門源棟暁が造営に

あたり、彫刻は渡辺徳次郎源棟績により行われたことが判る。
 このように本殿は、江戸時代後期の時代的特徴を良くあらわし、一連の棟札は社殿の造

営や神社の変遷を知るうえで貴重である。


 平成九年三月

 世田谷区教育委員会



※身舎=もや









御由緒3 境内掲示の石碑より字体改行などそのまま記載


御社殿造営記念碑


 御祭神 素戔鳴尊 すさのをのみこと


 御鎮座の年代は明らかでないが現存する棟札に

永禄八年正月大蔵氷川大明神第四ノ宮の再建と

記されている。

 幾年月が過ぎ御社殿の老朽がはなはだしくな

り昭和五十九年八月に御造営を計画し御神慮を

お慰め申し上げることに決定いたしました。

 平成元年六月四日に奉祝祭を斎行し御神徳を

仰ぎ神威を昴掲し崇敬の誠を碑に刻み弥栄を

祈念する次第です。

 

 建設委員会









境内末社


特に説明版が無かったため、どちらも御祭神はわからず。


一社造りの土台


明治四十一年七月
⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎ヨリ
移シ改築ス
⚫︎⚫︎
大蔵信徒中


七柱ぐらい祀っていそうな社は、全く不明。









社務所


社殿に張り紙されたものを見ると、年末の25日に来年度分の神札を配っている模様。

普段は不在か。









社務所の彫り物が立派だった。


















写真はすべて2014.12.21撮影


備考

社号 大蔵氷川神社

別名 氷川明神社

祭神 素戔鳴尊

旧祭神 大己貴命・素盞烏尊・奇稲田姫・手摩乳・脚摩乳

創建 暦仁元年(1238)

祭日 十月二日

末社 稲荷社他不明五社

社務所 神札授与御祈祷あり

所在地 世田谷区大蔵6-6-7


※備考欄の内容は、当該社寺の公示又は典拠を基に記載し、不明瞭なものは空欄にしてあります。

またこのブログ内の記事は、散歩としての見所やおススメポイントとして、私が感じた主観的な評価であり、当該社寺の格式や宗教的価値、ご利益等を評価したものではありません。