今回の参詣は、 浅草奥山の先、浅草田圃と呼ばれた地域に鎮座する箭弓稲荷神社へ。

ここは浅草寺裏の言問通りを越えたところ。とても飲食店が多い地域。

かつては浅草馬道町(うまみちまち)と呼ばれ、大通り(言問通り)には吉原へ向かう客が馬に乗ってここを通ったからだとか、水戸街道へ繋がることから武士が馬で通ったなどの説がある。

 

 

 

 

 

箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)

御由緒の類が見当たらなかったので詳細は不明。

埼玉県東松山市に同じ社号の神社があり、おそらくはそちらの御分霊かと思われる。

 

 

 

 

 

せっかくなので、東松山市の箭弓稲荷神社の由来を少し紹介。

創建は和銅五年(712)、伏見稲荷大社創建の3年後でほぼ同時期。

平安時代、平忠常討伐のため武蔵国野久ヶ原に本陣を構えた源頼信が近くの野久稲荷大明神(読みは同じく「やきゅう」)へ戦勝祈願をしたところ、暁の空に矢の形をした白雲が敵陣に向かって飛んでいった。それを吉兆ととらえた頼信が直ちに攻め込み快勝、こののち神恩に報いるため社殿を再建し社号を箭弓に改めた。

頼信は、野久の名が「箭弓(矢弓)」に通ずることから、怨敵退散の願書と共に太刀一振り、馬を一頭奉納して祈願したという。

 

ちなみに、本家の箭弓稲荷神社には、穴宮稲荷という末社があり、別名を團十郎稲荷と言う。

これは七代目市川團十郎が当社の熱心な信者だったことに由来する。古今歌舞伎役者が稲荷を深く信心するのは有名な話。現代の海老蔵も成田不動以外に信仰しているのだろうか。聞いたことないけど。。

 

 

 

 

 

本殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真はすべて2013.9.1撮影

 

備考

社号 箭弓稲荷神社

祭神

創建

祭日

末社

社務所

所在地 台東区浅草3-19-4