今回の参詣は、新宿総鎮守の花園神社へ。

第百五十回 花園神社(新宿)  →今回

第百五十回その2 花園神社例大祭(新宿)  →次回

以上2回に分けて掲載します。

 

当社は西に新宿駅前、南に新宿御苑と新宿エリアの中心部に鎮座する神社で、内藤新宿が開かれる以前からあり、この地の守り神として存在する。

 

 

 

 

正面鳥居前にある狛犬。

凛々しき勇ましいお顔。右が阿形で子抱き、左が吽形で鞠を抱える。

 

 

 

 

境内はとにかく広い。

新宿の中でも“超”が付くほどの一等地に、これだけの規模のお社を有するのだから、新宿鎭守どころの御神威ではなさそう。東京都庁、多くの企業の本社ビル、そして様々な文化を包括する都心部を守り続けるのだから。

 

 

 

 

google mapより。

新年正月の三が日の参拝者数8万人もさることながら、酉の市も大変な賑わいなのだそう。

酉の市は先月終わってしまったが、こんなにすごい規模なら一度は目にしてみたい。

ちなみに通常酉の市と言えば最大三の酉までだが、板橋区の善長寺では、毎年11月の酉の日から数えて4回目の酉の日に、「しまいの酉市」を開催する。そちらは12月16日斎行(数え方が間違っていなければ)。

善長寺の中に大鳥神社が現在でも残っているため。

 

 

 

 

こちらは境内中ほどにある手水舎。

金属の蓋はカラスかネコ除けだろう。壁面には文字が刻まれている。

元は大窪詩佛という漢詩人の銘が刻まれたものであったが、空襲で焼けてしまったため、こちらはその複製。

 

取彼雲根 爰刻爲盤
盛以井花 則清則寒
爰盥爰嗽 可以拝神
神之嘉爾 降福維繁
不啻爾躬 及爾子孫
槃之不朽 子孫永安
文化十年 歳在癸酉
冬十月大 窪行題

 

 

彼の雲根を取りて これ刻みて盤と為す
盛るに井花をもってすれば すなわち清くすなわち寒やかなり
ここに盥(てあら)いしてここに嗽(くちすす)ぎ もって神を拝むべし
神のなんじを嘉みすること 福を降してこれ繁んなり
なんじの躬にただならずして なんじの子孫に及べり
槃の不朽にして 子孫永安なれ

 

 

 

 

さて手水を済ませて本殿に向かうと、何か組み立てている。もう新年の準備なのだろう。

前回10月に訪れたときは、すでに酉の市の準備で骨組みが組まれていた。

このわずかな期間に組んでは解体、また組んでは解体と、怠らず毎度丁寧に準備をして祭日を迎えるところがすばらしい。

 

 

 

 

朱、白、金の社殿がとても綺麗。

社殿前の賽銭箱は、花園・大鳥・雷電の三社それぞれの御神紋があしらわれている。

 

由緒・縁起 

徳川家康が江戸に入った天正18年(1590)にはすでに当地にあったといい、大和国吉野山より勧請したと伝わる。

後に幕府により内藤新宿が開かれると、新宿の鎮守として祀られるようになった。寛永年代(1624~45)には、徳川忠長御附家老の朝倉筑後守宣正が、神社を含む周辺を屋敷地として拝領したため、一時は参拝できなくなった。氏子らは幕府に訴え出て、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地に遷座した。

その地には多くの花が咲き乱れていたことから花園稲荷社と呼ばれるようになったという。

また真言宗豊山派愛染院の別院三光院が別当寺になったことから「三光院稲荷」とも、またすぐ近くに新宿追分(街道分岐点)が有ったため追分稲荷とも呼ばれていたといいます。

 

昭和3年(1928)に新宿4丁目にあった雷電神社を、昭和40年(1965)に境内末社だった大鳥神社をそれぞれ合祀。三神を御祭神としている。

 

 

 

 

境内社1

威徳稲荷神社 いとくいなりじんじゃ

花園神社境内の中にある、大銀杏の下に鎮座するお稲荷さん。

御由緒などは不明。

 

 

 

舞い散る銀杏の葉がとてもすばらしく素敵な景色。

僅かなばかりの参道ですが、連立する朱い鳥居もまた良い。

 

 

 

 

鳥居前には狐の姿があしらわれた燈籠。

 

 

 

 

稲荷神社正面。

昭和三年四月ごろ創建という事以外に由緒はわからない。

辞書によると、威徳とは威厳と徳望のことだという。

威厳は、近寄りがたいほど堂々として厳かなこと。

徳望は、徳が高く人々に慕われるさま。

その意味だけで、御神威がうかがえます。

 

 

 

 

 

 

鳥居をくぐった先にある狐像。

右が子を抱え、左は子が親の背にすがっている。

以前、子安稲荷神社 の項で、親の背に乗る子ぎつねの親子像が珍しいと取り上げたのだが、早くも似た風な像に出会うとは。

 

しかもこちらのは状態がいい。あばらの筋や、つま先までとても精巧にできている。

 

 

 

 

そして境内社としてはめずらしく拝殿と本殿に分かれている。
先ほどのこともあって、あまり珍しいという言葉を多用しない方がいい気もするが、とりあえず滅多にない形式。

 

 

 

 

御本殿裏手には金精様のお姿が。

おいなりさんの裏に金せ・・・、下ネタっぽくなるから止めとこう。。

 

 

 

 

神楽殿前。

当社がこんなにも銀杏の名所だとは知らなかった。改めて美しい境内だと思う。

 

 

 

 

境内社2

そして花園社の斜向かいにあるのが納大明神。

こちらは古くなった御札や熊手を収めるためのお社。

「大きいものは、社務所に直接お納め下さい」、「腹の立つ事なども当神社にお納め下さい」とのこと。

 

 

 

 

境内社3

芸能浅間神社

 

御祭神 木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)。

こちらも由緒は無いが、もともと浅間神社は芸能や興行の神様として知られるが、当社はとくに芸能関係者、音楽関係者から、篤い信仰を受けている。

玉垣には、八代亜紀・藤村俊二・スギちゃん・阿藤快・もやもやさまぁ~ず2など、私でも知っている著名人の名も見られる。

お社は富士塚の上に建ち、手水舎の吐水は龍神、境内隅には二宮金次郎像も。

 

 

 

 

社務所で授与している、達磨の御神籤と威徳稲荷の絵馬。

ダルマのおみくじは一つ一つ表情が異なり、参拝者が選べる。絵馬もかわいらしく気に入った。

 

 

 

 

写真はすべて2014.12.6撮影

 

社号 花園神社 はなぞのじんじゃ

別名 花園稲荷神社、三光院稲荷、四谷追分稲荷

祭神 倉稲魂命(花園神社)、日本武尊(大鳥神社)、受持神(雷電神社)

創建 天正十八年以前

祭日 一月一日元旦祭、一月八日湯の花神事、二月三日節分祭、

    二月十一日建国祭、二月十五日二の午祭、五月下旬例大祭、

    六月三十日夏越大祓、七月一日浅間神社山開き、八月初旬盆踊り、

    十一月大酉祭(酉の市)、十二月三十一日年越大祓

末社 威徳稲荷神社、芸能浅間神社(祭神:木花之佐久夜毘売)、

    納め大明神(古札奉納所)、

    雷電稲荷神社(兼務社/新宿4丁目)、三社稲荷神社(雷電稲荷神社に合祀)

社務所 あり 神札授与・御祈祷など可

所在地 新宿区新宿5-17-3

 

 

 

 

周辺グルメ

花園饅頭 2F 甘味処花園茶寮

平成24年に花園饅頭本社ビルが完成したときに開店した喫茶室。

 

 

この季節にはもってこいの、小倉汁粉。

ホッとする甘さがいい。

 

 

 

周辺散歩

 

新宿ゴールデン街

私はその存在を知らなかったのだが、たまたま花園神社境内から街を見下ろしたら気になったので行ってみた。

 

 

 

 

新宿ゴールデン街、花園一・三・五・八番街、まねき通り、三光商店街から成る小規模飲食店の密集地帯。この一帯全体をゴールデン街ともいうらしい。

映画・演劇関係者から、作家・ジャーナリストが多く集まる街。

 

 

 

 

“味”というよりは、ただただ古めかしく、狭小店ひしめき合う混沌としたディープな街並み。

電柱や電線も蜘蛛の巣のように広がり、都心とは隔絶した不思議な雰囲気。

 

戦後は俗にいう青線地帯だったらしいが、現在はそんなものは無く、文壇バー・ジャズバー・ゲイバー程度が集まるだけ。

また、著名人が常連客という店が多く、誰かしら遇えることでも人気がある。

ただどうしたことか、江戸時代から或いはそれ以前から、神社仏閣周辺には必ず色を提供する店が立ち並び、大変繁昌したという不思議。

もちろん、単純に隣接し合うほど、店も神社もたくさんあったという解釈もできるのだが、ごく最近まで、東宮の隣地に鮫ヶ橋があったように、神聖な区域に隣合う細民窟という相対するものが、決して取り払われる事ばかりでなく共存していたというのが気になるところ。