今回の参詣は、羽田の「てんのうさん」の名で親しまれている羽田神社へ。

第九十五回 羽田神社 →今回

第九十五回 羽田神社・例大祭 →次回

以上、2回に分けて掲載します。

 

当社は、もともと自性院にあった牛頭天王が神仏分離で独立した神社。

旧称牛頭天王社または八雲神社。旧羽田村鎮守。

航空安全の御利益もあり、CAや航空会社の社員っぽい人の参拝も見受けられる。

 

 

 

 

 

狛犬

参道に二つの石製鳥居があり、そこにある狛犬。

右が阿形、左が吽形。

 

 

 

 

手水舎

かなり珍しい牛の吐水。もっともポピュラーなのは龍で、ほかにも亀戸天神の亀の水口などはよく見かけますが、牛の意匠が用いられているのは初めて目にした。

 

 

 

 

 

御由緒 ホームページ記載より参照

羽田神社について

羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の「氏神様」として羽田全域

から現羽田空港まで広く氏子を有する。

殊に航空会社各社の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じ

て運航安全・航空安全祈願の参詣がある。

また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。将軍・徳

川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気

平癒を祈願する参拝客も多い。

御祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」と「稲田姫命(い

なだひめのみこと)」の二柱・ご夫婦の神様をお祀りしている。

「えんむすび」「勝負事」のご神徳でも知られる。

その由来は、約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主

だった行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王(ごずてん

のう)を祀った事からとされる。

今日でも、羽田神社を「てんのうさん」と親しみを込めて呼ぶ

人がいるのは、その名残である。

徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰さ

れた。

明治元年(1869年)、自性院境内に祀られていた牛頭天王

社は八雲神社(やくもじんじゃ)として独立、明治40年に羽田

神社と改称、現在に至る。

昭和63年5月新社殿が竣工、平成18年3月お塗り替え工事

終了。尚一層の神慮が深まり霊験あらたかな御社として氏子

を見守っている。

明治初年に造られた「羽田富士」も見どころの一つ。

富士山に憧れた当時の人々がその姿を模倣して造った築山

で、大田区文化財に指定されている。

 

 

 

 

富士塚

御本殿のとなり。当社の富士塚は比較的新しく、明治になってから造られた。

 

御由緒 境内掲示物から改行、漢字表記などそのまま記載

 羽田富士塚御由緒と浅間神社

・羽田神社富士塚の御由緒

富士山の信仰団体である富士講の人々が、その年実際に富士山に登れない者の

為に、富士山を模して築いた人造の小山です。江戸中期安永(一七七二~一七

八〇年)の頃から、この習俗が、関東を中心として各地に起こりました。俗に

「羽田富士」と呼ばれるこの塚は、明治初年に築造されたもので、大田区唯一

の存在となっております。また、この山には登山道もあり、頂上に浅間(せん

げん)神社がまつられ、富士山と同様に造られております。

・安産・子育て・子宝の御利益、浅間神社の神様

羽田富士塚浅間神社の御祭神は木花之佐久夜姫命(コノハナノサクヤヒメノミ

コト)です。コノハナノサクヤ姫は天孫降臨で日向国に降り立った天津神のホ

ノニニギノ命に出会い求婚をされます。父のオオヤマツミノ神はそれを喜んで、

姉の磐長姫命(イワナガヒメノミコト)と共に差し出しましたが、ホノニニギ

ノ命は醜いイワナガ姫を送り返して、美しいサクヤ姫とだけ結婚しました。そ

の事に腹を立てたオオヤマツミノ神は「私が娘二人を差し上げたのは、イワナ

ガ姫を妻にすれば天津神の御子(ホノニニギ)の命は岩のように永遠のものと

なり、サクヤ姫を妻にすれば木の花が咲くように子孫が繁栄するだろうと誓約

(うけい)を立てたからである。サクヤ姫とだけ結婚したので、天津神の御子

の命は木の花のようにはかなくなるだろう」とおっしゃりました。サクヤ姫は

ホノニニギノ命との間に子を授かりますが、ホノニニギノ命は国津神の子では

ないかとお疑いになられました。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、

あなたさまの子なら何があっても無事に産めるはずと、産屋に火を放ちその中

で火が強い時にお生まれになられたのがホデリ(海幸彦)、中火のときに・ホ

スセリ、最後に火が弱くなったときにホオリ(山幸彦)という三柱の子をお生

みになられ見事ホノニニギノ命の子であることを証明しました。

このような故事から浅間神社の御祭神である木花之佐久夜姫命は安産、子育

て、子宝などの神様として御利益があると言われております。

 

 

 

 

 

現在は、崩れる心配もあるらしく入山することはできない。

 

 

 

 

富士塚横に置かれためおと擬宝珠。

 

夫婦擬宝珠御由緒 境内掲示物より改行などそのまま記載

夫婦 擬宝珠(めおと ぎぼし)

平成二十三年三月十一日午後二時四十六分「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。

地震により発生した津波やその後の余震により引き起こされた大規模な地震災害は東北

地方に甚大な被害をもたらしました。

当社も被災し「燈籠倒壊」「神輿殿屋根瓦落下損壊」「樹木倒壊」等の被害がございまし

た。運良く参拝者が通らず、大きな事故に繋がらなかったのは、大神様のご加護かと存

じます。

この燈籠擬宝珠は倒壊の際、参道上に内側へ寄り添う様に落下しました。羽田神社のご

祭神は「須佐之男命」と「稲田姫命」ご夫婦二柱です。落ちて尚寄り添う「夫婦擬宝珠」

をここに奉鎮し、復興への希望を祈念するものであります。

 

 

 

 

絵馬所

当社の絵馬は種類が多くさまざまな祈願が見受けられますが、安産祈願・初宮詣の奉納がとても多い。御利益・御神徳の高さが窺える。

 

 

 

 

境内末社1 鈴納稲荷神社

 

御由緒 境内掲示版より改行、漢字表記などそのまま記載

鈴納稲荷神社

祭神宇迦之御魂神創 建年天明五年(一七八五年)

羽田猟師町の名主鈴木五右衛門氏が天明四年(一七八四年)羽田村名主石井

四郎右衛門氏より三町五畝の干潟を譲り受け、その周囲五十間四方に

堤防を作り開墾を始めました。名主鈴木弥五右衛門が造成し

た土地を鈴木新田とし、無事に納まるように鈴納耕地

と名付けました。度々の風雨や洪水で堤防が決壊

し住民が困ったので、これを防ぐため屋敷の近

くに稲荷社を建立して鈴納稲荷と名付けま

した。鈴納耕地の安全を祈願しました。

昭和二十年九月二十一日強制立退き後、

昭和三十一年二月(一九五六年)午の日

現在の地に鈴納稲荷社を建立しました。

 

 

 

 

 

狐像は、右が宝珠、左が巻物を咥える。

 

 

 

 

本殿内は、例大祭期間中だけ公開される模様。

 

 

 

 

境内末社2 増田稲荷神社

 

御由緒 境内掲示板より、漢字表記改行などそのまま記載

増田稲荷神社

祭神 宇迦之御魂神 創建年 不詳

環状八号線と高速、横羽線が交わるあたり一帯は徳川幕府中期以降、増田

市左衛門が開墾したので増田新田と呼ばれ、近年迄六間堀に増田橋が架け

られていました。増田稲荷神社は高速上り線羽田出口

(現、羽田一丁目十番地)附近に祀られていたが戦後、

京急及び道路の拡幅に伴い、関係者、有志の願

いが許され羽田神社の境内社として移されま

した。

古老の話として、祠の中は子供達が遊ぶ

事が出来た親しみのあるお稲荷さん

だったとの事です。

 

 

 

 

 

狐像は、右が巻物、左が宝珠を咥える。

だいぶ年季が入っていて、ひび割れが著しい。

 

 

 

 

こちらの増田稲荷神社も、例大祭時は扉が開かれている。

 

 

 

 

境内末社3 日枝神社

 

御由緒 境内掲示板より漢字表記改行などそのまま記載

日枝神社

祭神 大山昨命(おおやまぐいのみこと)

創建年 江戸中期

西町・前河原の守護神として祀られ、文化年間の古文書にも記載されている社で

す。御祭神「大山昨命」は五穀豊穣、家内安全、景気回復にご神徳があると言

われています。太平洋戦争で廃失(昭和二十年四月十五日)しまし

たが、昭和二十四年、現大田区体育館の所在地にライオ

ン株式会社があり、敷地に焼失を免れた社があった

のでそれを頂き羽田二ー二八ー五に再建いたしま

した。

その後昭和三十六年、両町会の合意により、

羽田神社に合祀を願い、許されて境内社と

なりました。別名「山王さん」と呼ばれ、

神使いは「お猿さん」で町民から親しまれ

毎年四月二十九日に社前祭が行われてい

ます。

 

 

 

 

 

狛犬は、右が子供、左が鞠(宝珠)を抱える。

 

 

 

 

御社殿の公開はなし。

 

 

 

 

境内末社4 羽田稲荷神社

 

御由緒 境内掲示板より漢字表記改行などそのまま記載

羽田稲荷神社

祭神 宇迦之御魂命

創建年 不詳

現つばさ高校辺りにあった井上軍左衛門宅の邸内神社として祀られていまし

たが、引っ越しに際し昭和五十五年十一月、羽田神社境内末社となりました。

御祭神は伏見稲荷神社から分霊をいただきました。

 

 

 

 

鳳輦庫

鳳輦が収納されている。

例大祭の時も納められたままだったので、出輿することはなさそう。

 

 

 

 

神輿庫

宮御輿が納められている。

例大祭当日の午前中に氏子町を巡り、その後納められ、例大祭期間中は見ることができる。

 

 

 

 

御守り

羽田空港も氏子町ということもあってか、飛行機型の御守りや、飛行機と富士と日章が描かれた絵馬などあり、同じく飛行機絵柄の御朱印帳は人気が高く、入荷待ちの場合がある。

 

 

 

 

写真は2014.7.27と2014.9.14撮影

 

社号 羽田神社 はねだじんじゃ 別名:てんのうさん、旧八雲神社、旧牛頭天王社

祭神 須佐之男命 稲田姫命

創建 鎌倉時代

祭日 七月下旬

末社 鈴納稲荷神社(宇迦之御魂命・天明五1785年)、増田稲荷神社・(宇迦之御魂命)

    日枝神社(大山昨命・江戸中期)、羽田稲荷神社(宇迦之御魂命)、浅間神社(富士塚)

狛犬 本殿石製一種一対、日枝神社石製一種一対

狐像 鈴納稲荷石製一種一対置物複数、増田稲荷石製一種一対置物複数、羽田稲荷

    石製一種一対置物複数

社務所 社務所兼神札所あり

兼務社 白魚稲荷神社・中村天祖神社・重幸稲荷神社・妙法稲荷神社・鷗稲荷神社・

      玉川弁財天・糀谷神社・浜竹神社・西仲神社・西一仲江名神社・仲江名神社・

      三徳稲荷神社・村守稲荷神社・萩中神社

住所 大田区本羽田3-9-12