稲荷鬼王神社 いなりきおうじんじゃ
当社は、都内屈指の繁華街、新宿区歌舞伎町にある鎮座し、日本で唯一、鬼の福授けとして信仰を集める神社。
承応二年(1653)創建で、元々はただの稲荷神社であった。
ちょうど100年後の宝暦二年(1752)に熊野より鬼王権現を勧請。
天保二年(1831)稲荷と鬼王権現を合祀させ、稲荷鬼王神社となった。
鬼王という名を持つ神社は、全国でも当社だけ。
ここ稲荷鬼王神社は、古くから「鬼王」という名前から、平将門(幼名鬼王丸)を祀っているという伝承がある。
また、「将門魔方陣」とする神社が存在し、それら神社と、大手町の将門の首塚を地図上で結ぶと、将門が信仰したと言う北斗七星が浮かび上がるという都市伝説が実しやかに信じられている。
境内はそれほど広くはないが、境内社として恵比寿神社(三島神社)、浅間神社を祀る。
祭神は宇賀能御魂命、鬼王権現(天手力男命、大物主命、月夜見命)が祀られ、恵比寿、浅間にはそれぞれ、事代主神と木花開夜昆賣命が祀られている。
当社によると神社本殿にて月夜見命をお祭りしているのは、都内でもここだけだそうだ。
他に、新宿区の指定有形文化財の水鉢があり、これは鬼が、鬼の体より大きな手水鉢を乗せた姿をしている。
当社に見られる不思議
「お雑煮、お粥」
正月になると、当社では350年以上も続く、お雑煮をお供えする慣習がある。
正月三が日、七日、十五日、と三回にわけ、それぞれ異なるお雑煮(粥)が供えられる。
正月三が日以外は、毎朝卵を供えると言う全国でも珍しい風習が残っている。戦時中戦後の物の無い時代であっても、一日も欠かさず続けられてきたそうだ。
さらに、正月七日に供える当社の七草粥は、七草と言いながら、草類は全く入っていない。
またまた更に、宮司家では、神様にお粥をお供えするまでは、病気で伏せっていようが、決してお粥や雑煮を食べてはいけないという、全く理由の想像できない慣わしのようなものが幾つもある。
「豆まき」
節分の際の豆まき時は、鬼を春の神とみなし、通常の「鬼は外、福は内」とは言わず、「福は内、鬼は内」と唱える。
「豆腐断ち」
古くから伝わる病気平癒の祈願の一つに、豆腐断ちという祈願法がある。
湿疹、腫れ物、その他の病気一切にご利益があるといわれる「撫で守り」がある。当社に豆腐を奉納し、本人(または祈願者)が「豆腐断ち」を行い、患部を撫で守りで宛がうと平癒するという。
一説には、当社で祀られているのが鬼なので、鬼が嫌う豆を断ちつとも言われる。ただ、当社宮司家のおせちや粥には黒豆や小豆が使われ、節分時は「鬼は内」と言いながらも、当然豆を撒く。そこからすると些か不自然。
個人的には、もしかしたら江戸っ子の洒落言葉のようなもので“「豆腐=トウフ=痘負」を断つ”から来てるのではないかと思っている。
「鬼王」
そもそも熊野に鬼王権現なるものは確認されていない。かつて在ったのかも不明。
と、まぁ、稲荷鬼王神社には理由や発端の解らない幾つかの不思議が見受けられる。
社号 稲荷鬼王神社 末社 浅間神社 三島神社
祭神 宇賀能御魂命 鬼王権現(天手力男命 大物主命 月夜見命)
恵比寿神社:事代主神 浅間神社:木花開夜昆賣命
狐像 なし
祭日 9月18日
富士塚あり
住所 新宿区歌舞伎町2-17-5
撮影日2009年1月4日