楽しむことってこういうことだと思う
みなさん、こんにちは
京都府城陽市寺田の個別指導塾勉楽個別です
本日もブログを読んでくださりありがとうございます
本日のブログはまたまたまた「楽しむこと」についての内容です
また、リンクとは別に、このブログの最後に過去に書いたいくつかの「楽しい」「楽しむ」関連のブログ記事を貼っておきますので、よろしければお読みください
因みに、新庄BIGBOSSの「監督」としての良さはまだ見出せていない私ですが、リンクの記事にはとても共感することが出来ました
リンク:「楽しむことの裏側」
どうしてもこういう内容の記事を見ると反応してしまうのですが、その根底にあるのは子ども達の将来における「個人としての価値や競争力」であり、国際社会を舞台にして活躍してくれる「人財」となって欲しいから
そして、それこそが今後先細りして行く可能性が非常に高い日本が、漸く「国際競争のスタートラインに立つこと」に繋がると思うからなのです
もう一度言いますが、「スタートラインに立つこと」であって、「国際競争に勝つこと」に繋がるのではありません
優れた能力を「1点集中的に伸ばすこと」もとても良いことですし、そのこと自体を否定することも揶揄することもありません
一方で、「楽しむこと」ばかりにスポットライトが当てられ、「努力すること」や「苦しいことを乗り越え克服すること」に触れられることが少ないことに対して心配しているのです
先日、今後の教育の在り方について語られていたテレビ番組では、学校教育において同じ学年の中でも「ひとりひとりの能力や学習レベルに合わせた学習をタブレット等で行うこと」が理想であると、テトリス等のゲームを例にして語られていました
それは理想的なのかもしれませんが、一方でその為に行うべき改革や新しい仕組み作りがどうしても必要になって来ますし、逆にひとりひとりの取る行動によって「格差」がこれまで以上に拡がることにも繋がります
話は変わりますが、最近のニュースで日本と欧米の行動基準の違いがよく表れていると感じたことが、「コロナ禍でのマスクの着用」についてです
例えば、マスクを着用するかどうかについて、アメリカでは「個人の判断」としていますので、野球観戦でもノーマスクで大声で歓声を上げていますが、日本では「規律、マナー、エチケット、他人の目」などもあってか「政府の判断に委ねたい」とする人が圧倒的多数です
何故これに触れたかというと、日本において「欧米化」を図ろうとしてもなかなか上手く行かないことが多いからです
それは、「国民性」が大きく関係していると思いますし、「日本らしさ」を活かした「欧米化」になっていないと思うのです
体罰や強制は良くないことですし改められるべきことですが、それと同じように「努力」や「苦しいことから逃げずに乗り越えること」が扱われているような風潮があることは、とても残念でなりません
同時に、昔のような「過剰なしごき」や「根拠のない精神論的努力」は論外ですが、「ゲームや娯楽等を我慢してでも努力し手に入れることが出来たこと」に対しては、とても嬉しく達成感も満足も得られると思います
これらは私の考えや意見ではありますが、これから子ども達が暮らすであろう日本を考えると、心配が先に立って仕方がありませんし、ついつい堅苦しいことを考えてしまう私です
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