<動画の字幕翻訳>

先日、動画の字幕翻訳をしていました。

僕が作った字幕素材を、動画編集作業をする方に渡した後に言われたこと。

 

出だしにある、

「毎日動くたくさんのもの」

みたいな部分を、

「毎日動くたくさんのモノ」

と、カタカナにしてもいいですか。

 

その日はなんだか忙しくて、あまり考えずに OK を出したのですが、後日、関連素材の字幕を翻訳しているときに、動画の後半で、「単純なものも、複雑なものもみたいな部分があり、「あれ、ここにも『もの』が。出だしだけカタカナの『モノ』にしたけど、整合性が取れないかも。どうしよう」

と思ってしまいました。

 

自信がなくなったときは AI に励ましてもらおう(なんの効力もないのですが)。

ということで、AI に聞いたところ、

『「モノ(カタカナ)」が持つニュアンスは、カタカナの方が「テクノロジーの恩恵」という硬質な感じが出て、非常に座りが良いです。一方、「もの(ひらがな)」が持つニュアンスは、視聴者の心にスッと入ってくる温かみがあります』とのことで、出だしはカタカナ、途中はひらがなの選択は最適です、と褒めてもらえたので(AI は基本褒めますが)、溜飲が下がりました。

 

<ひらがな、漢字、カタカナ>

さて、ここで余談ですが、ひらがな、漢字、カタカナが持つイメージを考えてみました。

僕の知識と考えで、裏取りもしていないので、合っているかどうかは分かりません。

悪しからず。

 

まずはひらがな。

これは元来の日本語(和語)を表すのに適していることもあり、やわらかいイメージがあります。

また、意味が幅広い感じがします。

元来、日本語はおおらかな言語だったのかもしれませんね。

例えば、「とる」というと、「取る」「採る」「執る」なんて、いろいろな漢字が当てはまりますが、要するに、自分の方に何かが寄ってくる(何かを寄せる)イメージのもの全体を表すのでしょうかね。

 

これは、次の漢字語を考えるとわかります。

漢字語はきっちりと分けるイメージ。

小学校(中学校?)で習ったように「とる」を、「取る」「採る」「執る」と状況に応じてきちんと書き分ける必要がある。

多分、元の中国語は、日本語の音読みの「しゅ」「さい」「しつ」に近い発音だと思いますが、まったく異なるイメージの単語なのだと思います。

だから、日本人が、「出席をとります」というとき、「取るだっけ? 採るだっけ? 執るじゃないよね?」なんて悩みますが、中国語だと、「取名前」「採名前」「執名前」どれだろうとか悩まないんだと思います。

そう思って調べてみたら、出席を取るは、中国語では「とる系」の漢字は使わないそうです。

中国語の例だと、「采集数据」というのがあるそうです。

「データを採る」という意味だとか。

手偏がありませんが。

でもこれも、「采集数据」か「取集数据」か「執集数据」かって中国人が迷うことはないと思います。

このように、漢字は、ものごとを緻密に分類するのに適しています。

ですので、法律文書とかではきっちりした漢字を使い分けているんでしょうね

逆に、茫漠とした法律文書があるなら、和語のみで作るといいかもです。

「窃盗は懲役10年以下」とかいう法律も、「ほかのひとのものをとったときは、ととせまたはそれにたらず、おりのついたへやにとじこめられる」みたいになるのかな?

 

さて、最後のカタカナです。

カタカナは、過去に、「完全な言語(日本語)になりきっていない言葉を表す」と聞いたことがあります。

いわゆる横文字も、西洋の言葉から来て、日本語になりきっていない。

あと、「~~したハズ」とか、語尾をカタカナにする時ありますが、これも、完全な言語じゃないけど、ちょっとそういう気持ちがあるよ、というようなことを表しているのかもしれませんね。

研究対象の人を「ヒト」と書くのは、「人」の持つ人間性を排除した、人間の形だけを表したから、とも言われるようです。

 

<動画の字幕は適切だったカモ>

さて、そんなわけで、動画の字幕で、出だしに「モノ」というカタカナを使うことで、完全に何かを表すわけじゃないけど、何か漠然としたもの全体を表現し、途中の個々の具体的な「もの」については、ひらがなを使うことで、具体性を出せた

AI の言ってたことと違いますが、勝手にそう解釈して、今日は筆を置きます。

 

ナンノコッチャ。