マタニティネタにつき
ご興味ない方は スルーでね
いつでも
どんなときも
不安を少しも持たない人は
ほとんどいないように
妊婦にしても
不安を持たない人はいません
最後まで順調でも
お産で苦しむひともいるし
つわりが出産まで続いても安産なひともいる
とにかくなにがあるかはわからないのがお産であると
医師からも助産師さんからも
さんざん言われます
順調だから大丈夫、なんて、わからない
それはわたしも、妊娠が確定し
産む覚悟をした瞬間から、痛いほど理解し、覚悟していまする
はためにわかるほど
気をつけていても
自分なりに気をつけていても
安静にしていても
正直そのときになにがあるかはわかりません
最後まで タバコ吸ってたって 出産にトラブルがなかったってひともいるわけです・・・・
人生と一緒
画一化したなにかにあてはめることはできないし
ましてや「自分も経験した」だけでは
それを 他者に完全に投影することもできません
わたしはこうだったんだけど
こういう場合もあるよね
それにとどまると思います
それこそ妊婦さん同士
比べたりするのももってのほか
疾患もですが
妊娠出産の多様性を
病院と言う場で少なからず経験していて
セラピストとして妊産婦をみている経験
東西医学や身体をふまえた事実を含め
多少の知識はあっても
まだまだ全てではなく
足りないことばかりで
そして、実際、まだまた未体験のことであることには かわらない
わたしは病院出身です
医師に言われることは、厳しいけれども、全て前提のあるリスク管理からくることを理解しており
医師もわたしも、現状起こり得る可能性のある最悪のリスクから予想してゆく
これは医療看護ともにそういうもんです
可能な限り、リスクを回避するために、起こり得る可能性のあるリスクは予想しておく
覚悟させとくためにも必要なのだよね
母というのは
子を宿したから母になるわけではないわけで
子として生まれてくる子に 親にしてもらう という言葉通りでもあると思います
日々成長させてもらうわけです
命を授かって妊娠を喜ぶ半面
産む覚悟をして
人生が変わることを受け入れ
そして
とにもかくにも我が子の健康だけを願います
元気に産まれてくれればそれでよい
皆、思うことは一緒ではないだろうか
ただし、それすらエゴかもしれません
授かった命が生まれ出ようとしているならば受け入れる
多くのお母さんたちはおそらくそう思うんではないのかな
ちょうどママな友人とそんな話をしていました
もちろんそうは思えないママもいるかもしれません
しかし、いろいろ覚悟はしても 自分の中の命や
今後のこと 不安はつきもの
そして 内外ともに変わりゆく自分の体を
受け止めきっているかといえば
多くの妊婦さんの 不安要素にもなっているのでしょう
看護計画では
「ボディイメージの低下」というのは
妊娠期中期より問題点のひとつとして あげられる
立派な要素ですからね
そう
大なり小なり
そして 内容はそれぞれでも
不安を持たない妊婦はいないのです
身近な人間の
「太ったね」
とか
「顔色が悪いね」
とか
言ってる側には
対したことのないセリフでも
心痛める妊婦さんもいます
これ でもセラピストとかよくやるよねぇ
でも 事実だとしても言わなくていい指摘とか
本人に伝えなくていいことって
あるのだよ・・・・
これ観察セミナーでも うるさく言うとこですがね・・・・・
妊婦を見て席を譲らないどころか
寝たふりをしたりとか
舌打ちをしたりとか
つきとばしてきたりとか
他人の思いやりのなさもびっくりする世の中ですが
こと身近な人間が
エゴや思いつきで
傍若無人な発言や
不安をあおるような発言をすると
わたしの場合は 今はもう防衛本能ですなぁ
怒りが吹き上げるのです
瞬間湯沸かし器並み(笑)
妊婦は肝臓に負担がきているから余計でしょう
臓器に 感情ためてるキャパはない
子を子宮で育てるという 一番の大仕事をカラダがしているときです
愛のない 外部の攻撃に関してはこと鋭敏になるのでしょうなぁ
まぁ、持ってしまう感情は仕方がないのです
人間ですから
そしてホルモンが変わってますから
もういいわけでもなんでもなく 仕方ありません
怒りを持つことや
いらいらを感じることを
恐れる必要も恥じる必要もありません
それより 「わたし」が持った負の感情を長引かせないことが
何より重要
はよ忘れるのが一番
「わたし」がいらいらしたり、負の感情を引きずれば
ベビーが居心地悪くなりますから
これはいつでも真理かな
畑がちゃんとしてないと 種も芽も育たないからね
花をさかせたければ 花の手入れではない
たわわな実を実らせたいなら
畑の手入れが 一番ですから
いや
当然、こころからの思いやりや
正しい知識からくるものならば
素直にありがたく聴けるのですよ
出産未経験とはいえ、わたしは病院出身ですし、からだのことを教えているプロ意識はありますし
そして 人間ですから
素人の興味本位や
安易な思いつきで とやかく言われるのには正直辟易しますです
人の言うことは気にするな
ジョンレノンも言ってる言葉ですけどね
いやはや本当に他人は
本当に 好き勝手なことを言います
所詮「わたし」のことを
家族ですら
介入するのは
不可能なのです
家族であれ友人であれ
よくもわるくも他人です
「自分以外は他人である」 そういう 人と人との境界線が わからないタイプは
つまり 相手に対するリスペクトもないわけです
リスペクト=尊敬とか 尊厳ね
相手への敬意がない
思いやりとおせっかいの境界も
それすらも 実は受ける側の主観なのかもしれませんが
いついかなる時でも
ソレが 思いやりかどうかは
感ずるもので
やっぱりわかるよなぁ・・・・・・・・・・・・・・
まぁそんな妊婦生活のつれづれ
わたくし ○高で初産ですけど、それが、だからなにか?
担当医師や助産師ならともかく
素人レベルの 他の誰に言われなくても、本人が一番わかっております
彼らが最悪のリスクから提示してくるのは
患者を徹底的に守るためです
素人がとやかく言うのは
ただの不躾であり
単なるエゴです
わたしにもわからないことはあります
が いつも言うように
文献なり 裏づけなきことには
納得は一切 しませんよ ということです
いやはや本当に
外野というのは
まったくもって
騒がしいものでね
他人のことなんて
ほうっておけばいいのに
噂話は 本人不在なら 悪口ですよ・・・・・
それが関係性がない人間ならともかく
かかわりがある人間がやってるとなったら いかがかねぇ?
「心配」という名の大義名分も同じ
他人が他人を心配するといいことありませぬ
心配っていうのはさ
ネガティブなエネルギーを 相手に勝手に送り付けることなのだよ
心配って なにかうむかい???
だから それも やってる本人のエゴなのだよ
それなら「幸運を祈る」のが 愛ですわ
「心配」という名で「不幸」を願われちゃ たまらんねぇ・・・・
これ身内がよくやりますな
なので家庭内カルマって一番面倒
エネルギーアタックも 家族のものが一番厄介
業も執着もめっちゃ深いし 念が強いからね
ほんと家族でさえ自分以外はすべて他人です
土足で足を踏み入れていい他人の境界は
たとえわが子であってもありません
自分の境界は侵害させない
そして相手の境界も侵害しない
これは 真髄なんだがなぁ・・・・
心配なんて両者一文の得にもなりませんので
余計なエネルギー使わないで
自分のことをやってりゃいいのです
残念ながら 「愛」を送れる人は 本当に少ないです
「愛」を送ってくれる大事な友人が
周囲にいてくれること
わたしは幸せ者だと思います
無責任な心配は心配とは呼びませぬ
心配は自分のことだけにしとくがよい
他人の心配などは無用です
他人には愛を送るだけ
愛情じゃないのよ 愛だよ 愛
「情」がはいるとロクなことになりませんからねぇ
愛だよ 愛
わたしも いつも愛を持てる人で いたいもんです はい
日々精進ですなぁ