「愛」
というメッセージというか、
キーワードが、
ふゆの周りをぶんぶん飛び交っています。(。・ω・)ノ゙
「愛」とはなんぞや、
「幸福」とはなんぞや。
???…(*´?`*)。o○
愛とは、
必要なタイミングで必要なモノを
惜しげなく与えること。
であると思ってました。
(ほかにも定義はあるけどね~)
相手が必要であれば、
その必要なタイミングで、
「ハイ、どうぞ」
とあげること。
それにはなにか見返りをもらおうという感情はつきまとわないものです。
これしてあげたんだから、
じゃあこれをして、
とか、
これあげたんだから、
あれちょうだいよ、
とか。
そんなふうに思って、
いろいろしたことありません・・・・。
たとえ自分がおなかがすいていて、
パンがひとつしかなくっても、
目の前の相手に「どうぞ」とさしだしてあげる、
そんな感じでしょうか・・・・。
でもね。
しばらくそうやってきました。
ふゆの場合、
おなかがすいてる目の前の相手に、
パンを半分でなく、
全部あげちゃうような、
そんなことをしてましたね。
そうするとね。
残念なことに、
相手は、
「この人に言えばなんでもくれる、この人ならなんでもしてくれる」
と潜在的に「甘え」が出てくる。
たしかにふゆは見返りは求めませんが、
ねずみにビスケットをあげたら次はミルクを要求してくる、
という状況になりがちなことがとても多かったです。。。
もっとくれもっとくれ、
ぎぶみーぎぶみー。
こちらにも許容量があります。
じぶんさておいて、
他人のためだけに奔走することが、
はたして「愛」なのかと。
相手にもっとくれと甘えをださせてしまう自分の行為は「愛」でないのではないか、と。
思っちゃったわけです・・・。
こちらにとって無償ではあるけれども、
与えられたほうに感謝がなければ、それは愛じゃないのかもしれないし。
もらってアタリマエ。
してもらってアタリマエ。
愛ってコミュニケーションからうまれるものでもあるでしょうから、
ワンウェイでは、
やはりバランスが悪い。
レイキの臼井先生は最初無償でやってらしてたんですが、
無償でやってあげた方というのは、
すぐそれを無駄にして、
またやってくる、
「またください。もっとください。」
と言った話。。。
ただって、ありがたいようで、
ありがたみがなくなる、という典型的な人間の甘えパターンというか。。。
で、やはり無償はいかん、となった経緯にハタとしました。。。
(レイキ本にはよく書いてありますね~)
往々にして、
無償では、
ありがたみがなくなる人が
多いのです。。。
もちろん無償でも、
有難がって、大事にしてくださる方もいますが、
そういう方って、
別の何かできちんとエネルギーを返そうとするし、
ごくごく少ないんだと思います。。
相手が必要とするものを、
必要な時に差し出すこと。
これって相手を見ていなければ絶対に不可能なこと。
いつも周囲に気を配っていなければ、不可能です。
気配りは目配り。
(気遣いのできる方は、
目がとても疲れることが多いです。)
けれど、今これをしたらいいのにな、
と、こちらが思っても、
それに本人が気づくまで見守るのも、
「愛」
なのかもしれないなぁと。
そのとき相手が傷ついても、
それが必要なプロセスであれば、
甘んじて、
憎まれ役を買い出ることも、
「愛」
なこともあります。。。
転んでいても、
手を差し伸べずに自分で立ち上がらせることが必要なこともあるのかもしれない。
それが、相手にはわからなくっても。
まま、それはかなりDeepな「愛」の考察ですが。^^;
ありがとうございます。
愛しています。
感謝しています。
今日、
サロンのお仕事前にお日様に向かって瞑想して、
感謝の言葉をつぶやいてましたが、
なんだか幸せで、
じわっと涙が出ました。
ああ、生きててよかった~って、
かんじでしょか。
生かしていただいている感謝でした。
しあわせというより「幸福」と感じました。
自分が必要としていた言葉を、
言葉として、
いただけたヨロコビ。
ああ、わたし、
それが欲しかったんだ、って、
言葉を耳にしたときに、
心にパズルのピースのようにぴったりはまって、
涙が出た。
思いのこもった言葉って、
たった一言で、
こんなに人を幸せにできるのね、と、
感謝があふれました。
思うだけでは伝わらない。
言葉にしなければ、伝わらない。
これは昨年の反省でもあり、
学びでもありました。
というか子供の頃からのわたしのテーマなんだと思います。
うん。
言いたいことがうまく言えない。
口に出せないという・・・。^^;
(こう見えてそうなんだよ~。ほんとだよ~(笑))
言葉は刃になり、人を殺すこともできるけれど、
言葉は愛となり、人を癒し、幸福にすることもできる。
同じく友人の言葉で、
殺されたと思ったけれど、
もしかしたら
ふゆも同じように誰かを傷つけていたのかもしれないなと思うと、
その友人を責めるとか、
「わたし傷ついたんだよ」
なんて言うのもおこがましい気がして。。。
世の中すべてミラーですしね。。。
優しくてきれいな言葉を使い続けたいと思います。
思いを、
うまく言葉にできない不器用なわたしですが、
それでも、
きちんと思いを言葉に、
そして声にして、
踊りや表現に乗せて、
伝えてゆきたいと、
思います。
いえ、伝えてゆきます。
愛と感謝をこめて。

そんな感じで。

