かなり久しぶりのブログです。

最近、私は電車通勤をしています。

先週の夕方、帰り道に、乗り換えの駅品川のホームは人が溢れていた。何かしら?
電車が遅れているとのこと。
改札は出られない。人の間に挟まれて動かない。

こんな時に便利なのは、スマホ!

写真を撮りラインで状況を家族に知らせる。

音楽を聴きながら、
好きな音楽をプレイリストにしていく。
それを聴きながら、
アマゾンプライムミュージックの新しい使い方を研究
来週の食材を生協で注文する。
気になっていた事を調べて賢くなった。

30以上立たされて待たされても
イライラしない。

スマホって凄い!


人身事故だった。人が亡くなったのだ。
いつから、我が国は自殺が多い

人の命の凄まじさ、
これ程の人が駅に溢れてしまう。
人が悩んだり、苦しんだりしている時
手を差し伸べたり、
優しくしたり、
共感したり、
寄り添ったりして、
周りの人を大切にしたいとつくづく思う。

どうか安らかに眠って下さい。

#電車通勤
#人身事故の影響
#スマホの効果

今年3月12日(日)

 

恒例の恵比寿社教館まつりで「椅子を使ったヨガ・チベット体操」を開催しました。

毎年行っていたので、来年こそは参加したいなど、徐々に参加者が増え、

今年はお蔭様で満員となりました!ありがとうございます。

 

今回はヨーガ療法のアイソメトリック・ブリージング・エクササイズを取り入れ、

シニアの方が安全で効果の上がる事を意識しました。

限られた時間の中で、瞑想まで導いていけるか。

そして、その人が自分自身と心を結び付けられるか、挑戦でした。

 

脊柱管狭窄症の60代の初心者の女性が参加していらっしゃいました。

皆の体調を考慮して、緩やかに呼吸法から、身体と呼吸を連動した動きで、

内分泌系、自律神経に働きかけ、呼吸法を間に交え、

自分の内側に意識を戻して行きました。

 

チベット体操、数々の呼吸法の後、呼吸をカウントダウンして、

瞑想の準備を整え、「今までで愛された記憶」をチェックする瞑想をしました。

 

クラスを終え、みなさんと歓談していると、その女性が涙をためて、

こうおっしゃって下さったのです。

 

「とても、身体が軽くなり、すごく良かったです。

そして今の私の病気や生活の状況は、私の心が生み出したと気が付きました。

引っ越してこちらに来てから、引きこもり気味になりました。

少し自分を変えてみようと思います。

今日参加したお蔭です。先生のお蔭です。ありがとうございました。」と…

 

それは、あなたがご自身で導き出したのですよ。私はガイドしただけです。

今日の気持ちを大切になさって下さいね。と申し上げました。

 

この方は、90分のクラスで真我(ブラフマン)と繋がったのです。奇跡です!

ヨガを教えていて本当に良かったと、こちらが涙してしまう体験でした。

街中にキンモクセイの香りが溢れる季節。

香りに誘われて、ベランダで紅茶を飲んでいると、周りの風景、音が飛び込んでくる。


掃除機をかけている音、遠くに聞こえるTVのノイズ。生きている息吹がそこにある。


前のアパートに、一部屋空き部屋がある。

先月までそこには一人暮らしの男性が居た。


腕のいいマッサージ師で、よく父がかかっていた。

私は、持病の喘息発作が起こった後、身体が強張ってしまった折、父と一緒にお願いした。

肩から腰に掛けてパカパカに固まったコリをほぐしてくれると、嘘のように楽になり、

元気に生活してゆく気力が湧いたものだった。


その人の親指は、指先が大きく変形して、人の身体をほぐす為に都合がよい具合になっていた。

その指先を見た時に〝仕事師″という言葉が脳裏をよぎった。


結婚もしたが、短い期間であった様だ。

インターネットがしたいとパソコンを買ってきた折、設定などを手伝いに伺った事がある。

私の仕事はIT関連業務であったから。

その時のお礼に「漢字源」とう辞書を頂いた。漢字のルーツを紐解く辞書だった。

本好きの私は嬉しかったが、なかなかジックリ味わう時間もなく仕舞い込んである。


先月その人は亡くなった。


残暑が尾を引きながら、うろこ雲が高く見える頃に。

遠くに親戚があると言っていたが、年老いた親戚もなかなか面倒はみれないのではないか?

と大家さんが病院に見舞っていた。どうなる事かと、大家さんは心配していた。

翌々月まで家賃は前払いしてあるという。


亡くなった後、その人の代理人とう弁護士さんが、すべて始末をつけてくれた。

遺体は大学病院に検体し、残った遺産は3等分して、

郷里の町と、この町に寄付した。

この町の役場が部屋の荷物の片づけをすべて行う手配をして旅立ったという。


「この町で暮らす事が出来て、私は幸せだった。本当に有難かった。

是非寄付をさせて頂きたい。」と。


贅沢はしていなかった、よく父の遺品の洋服を着てくれた。

簡素な部屋には、よけいな家具はなく、本が積んであった。

心豊かに暮らした、腕のいいマッサージ師だった。


いま頃、父はあの世で、喜んでまたマッサージを受けているだろう。