聚楽第・・・(じゅらくだい)
豊臣秀吉が天正15年(1587年、安土桃山時代)
京都に造営した華麗壮大な城郭風の邸宅。
東西600メートル、南北700メートルという
二条城より一回り大きい規模で周囲に堀をめぐらします。
聚楽第の濠跡で大宮下長者町の鍵状の辻から
北に少し歩くとそれはあります。
金網の向こうにそれが見えます
入れないので反対側に回ります
民家に囲まれ、空き地となり、草は映え放題。
空き地の中には崩壊寸前の家も
草むらの奥に進むと井戸があります。
この井戸は、豊臣秀吉が聚楽第を築いた頃から、
聚楽第内の東南隅にあったものだといいます。
梅雨明け7日前から水が溢れ出し、
梅雨明けと共に戻るところから、
この「梅雨の井」という名が付いたと言われ、
茶の間に最適の水だと
秀吉のお気に入りだったらしいです
『豊臣秀吉造営するところの
聚楽第の内にありし井戸なりと遣ふ。
此地はもと聚楽第舞部の東南隅に近き処にあたる』
梅雨の井跡へは
JR京都駅、市バスB2乗場から50系統で
「大宮中立売」下車、徒歩3分くらいです
忘れ去られつつも
その姿を現在に残し
誰かに語り継がれてゆく古き時代の跡。
そこには歴史があり魅力があります
では、又