Y社での海外出張は中国から(7) | ごく普通の技術系サラリーマンの一生

ごく普通の技術系サラリーマンの一生

成功体験なんか役に立たない。
定年退職を迎えた普通のサラリーマンの一生を振り返り、会社生活の裏側と本質を書き綴ります。

このブログは順不動で書き綴っています。

大まかな順番はテーマの並びの通りです。

テーマ内での順番はブログ完了後に整理予定です。

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2005年〜

 

 

A社が長安にあった頃は殆ど一人で外出する事はなかった。

 

会社から安全面でのきつい指導があったからだ。

とは言えホテルとの往復だけでは息も詰まるので、A社のスタッフが気を使って良く連れ出してくれた。

 

A社が長安から寮歩に移動してからも暫くはお付き合いしてくれたのだが、出張期間も長期になると徐々に放置状態になって来た。

寮歩に移ってからは宿泊施設が東莞市内のど真ん中になった事もあり、長安に比べると安全面への警戒レベルがかなり下がってしまった。

後で聞いた話だと、当時の東莞の街中もかなり危険な状態だったらしい。

ただ街の人達の体格が意外と小柄だった事から、ま、何かあっても大丈夫だろうと警戒心が殆ど無くなってしまったのも事実だった。

 

ある休みの日に、よくA社のスタッフに連れて行ってもらっていたショッピングセンターまで、同僚と散歩がてら歩いて行ってみる事にした。

地図も無い中で、車で連れて行ってもらった方向を思い出しながらブラブラしながら歩いて行った。

途中、現地の人達に片言の英語や中国語で道を聞きながら何とかたどり着く事が出来た。

 

 

 

 

 

この事を切っ掛けに自信が付き、一気に行動範囲が広がった。

近所を歩き回って見ると色んな物を目にする事が出来たし、現地の様々な事を経験する事が出来た。

ホテルのそばに、大きなパソコンショップと秋葉原のガード下のパーツ屋を合わせた様な巨大なビルを見つけた時は嬉しかった。

 

 

また、その近所にあった韓国焼き肉屋にはよく通い、店主とも顔なじみにもなった。

街中でタクシーを捕まえて自在に好きな場所に行ける様になるまでも、ほとんど時間はかからなかった。

 

ちなみに、当時の長安ではタクシーにメーターが付いておらず、乗る前に金額を交渉する必要があった。

東莞のタクシーはちゃんとメーターが付いていたが、1元のガソリン代を上乗せして支払う必要があった。

中山や珠海ではメーター通りの金額で支払いOKだった。

 

ここ数年は中山市内でしかタクシーを乗っていないので他の場所での実態は解らない。

以前は目的地の中国語を一生懸命覚えたり、ひたすら名刺を集めたりしていたのだが、最近はスマホで目的地の地図を見せればほとんど通じてしまうし、言葉が分らなければ翻訳アプリで何とかなる。

 

便利な世の中になったのだが、語学力が確実に落ちて来ている事は本当に考え物である。

 

(つづく)