2024年6月9日(日)サントリーホール

にて、アラーニャを久しぶりに聴いた。

私が最後に聴いたのは

2013年パリのサルプレイエルでの

リサイタルに行って以来。

そして、アラーニャは18年ぶりの来日。

当時は海外旅行をアラーニャのオペラの日程に

合わせたこともあるくらいファンだった。


しばらく聴きに行っていなかったので

私自身の熱も冷めていたのだが

舞台に登場した笑顔のアラーニャ、

甘くて美しい第一声を聴いた瞬間

本物のアラーニャが目の前にいる!!

と、以前の感情が湧き上がった。

熱は冷めていたとはいえ、最前列のチケットを

取っているあたり結構なファンじゃないの?と

自問してしまった。





THE GREAT PUCCINI 

プッチーニ没後100周年 スペシャル・プログラム


歌劇《妖精ヴィッリ》より「幸せにみちたあの日々」

歌劇《エドガール》より「快楽の宴、ガラスのような目をしたキメラ」

歌劇《マノン・レスコー》より「栗色、金髪の美人の中で」「何とすばらしい美人」「ご覧下さい、狂った僕を」

歌劇《ラ・ボエーム》より「冷たい手を」

歌劇《トスカ》より「星は光りぬ」

歌劇《蝶々夫人》より「さらば、愛の家」

歌劇《西部の娘》より「やがて来る自由の日」

歌劇《トゥーランドット》より「誰も寝てはならぬ」   



妖精ヴィッリから始まり、3曲目から5曲目の

マノン・レスコーはもう極上のアリア。

息をするのも忘れてしまうくらい

甘い歌声に聴き入ってしまった。

アラーニャの全盛期は過ぎたんじゃないかと

思っていたけど、今こそ全盛期なのではと

感じるくらい伸びやかな歌声だった。

後半はアラーニャの十八番とする

ラ・ボエームから始まり

指揮者の三ツ橋さんを見ながら歌う場面が多く、

若干右側に座っていた私は

角度的に彼がこちらを向いて歌うので

まるでアラーニャの相手役になったような気分

で聴き入った。

アラーニャがラ・ボエームを歌えば、

パリの寒々しい屋根裏部屋がセットされたかの

ようなイメージが途端に広がり、私の頭内では

自分がミミ役。笑


アラーニャがカヴァラドッシとなれば

私はトスカになるのだ。

目まぐるしくも何にでもなれる自分の妄想に

なんだか笑えるが、きっとこういう気持ちになって聴いていた人は私以外にもいたのではないかと

思った。

そのくらいオペラの世界に引き込まれてしまう

歌声だったのだ。


とにかく、一曲一曲を丁寧に感情を込めて

歌い上げていたのが印象的。





アンコールが始まる前に先日お誕生日を迎えた

ばかりのアラーニャにオケがサプライズで

ハッピーバースデーの曲を演奏。

高校生2人が花束をアラーニャに手渡しして、

観客も一体となりお祝いをしました。

アラーニャ本人が誕生日を日本で迎えるのは

これで2回目なんだよ!と話していましたが、

18年前もイル・トロヴァトーレの公演後に

サプライズお誕生日会があったことを

私は覚えていましたが、世界中を飛び回る

アラーニャ自身も覚えていたなんて嬉しくなり

ました。

そして年月を経て今回もこうやってお祝いできた

ことが感慨深かったです。

18年って・・・アラーニャも61歳ですが、

わたしも40代になったわけです。


アンコールで「つばめ」「外套」そして「泣くな、リュー」。もう最高過ぎる全力投球。

そして最後にはこの曲は若い人が歌う曲なんだよね、とユーモアを交えて言いながら

ジャンニ・スキッキのアリアまで歌ってくれた。


プッチーニ全作品を制覇したなんて本当に凄い。

誤魔化しが効かない難曲のアリアも多かったし

やはり世界的オペラ歌手の力量、そしてタフさ

精神力の素晴らしさも改めて感じた。


最後になってしまったが、東フィルの演奏も

とても良かった。女性指揮者の三ツ橋さんで

オペラが聴いてみたい。





リサイタルが終わったのは夕方で
同日の夜の便でスペインに向かい
翌日はバルセロナのリセウ劇場にて
アドリアーナ・ルクヴルールのリハーサル
があるという。
そんなハードスケジュールの中、
公式ではないがサイン会を行ってくれたのだ。

売れっ子音楽家というのは実にハードだと思う。
時差も気候も異なる色々な国に移動して、
ベストなパフォーマンスを披露する。
それだけでも大変なのに、
こうやってファンサービスまでしてくれる。
もう最大の感謝と感激、
そしてお疲れの中で申し訳なさを感じた。
だったら並ぶなよ、というのは承知だけど、
自分は聖人君子ではないのだ。
私がサインに並んだ演奏家は今まで二人。
今回のアラーニャ、
そしてピアニストのランラン。
誰でも良いから取りあえず欲しい!
というわけではないのだ。
サインには長者の列ができていて、
私の想像ではほとんどが女性なんだろうと
思っていたが、半数は男性ということに
若干驚いた。
中には現役の日本人声楽家の方も
いたようだった。
そういう方にとっては、
野球少年にとっての大谷翔平さんのような
存在なのだろうか。




サインを書いてもらっている間、

それぞれがアラーニャに話しかけるのだか

私は一応フランス語を学んでいたので、

フランス語で今日のリサイタルが素晴らしかった

ことを伝えた。


ファンと距離の近いアラーニャだから、

もしかしたらリサイタル後に

サイン貰えるかもしれない?!

という淡い願いを持ってちゃっかり持参した

2012年に南フランスのオランジュ劇場で

トゥーランドットを観劇した際の写真。

近くのショップでアラーニャの写真を買える店

があったのだ。

アラーニャは写真を見るなり、これはトゥーランドットだねと即座に言っていた。

彼は本当にすごい!と感じたのは

それぞれサインを貰う人が様々な言語で

話しかけていて、

その言語に対応したお礼を言っていたのだ。


私の前にいた女性は日本語で

「あなたの歌ったカルメンのね、

花の歌を聴いて好きになったのよ」と

つらつらと話していた。

アラーニャはうんうんとうなづきながら、

最後に「ありがとうございました!」と

日本語で返していたのだ。


そして、私はようやく通じるようなフランス語で

少し会話をして、最後には笑顔のアラーニャから

Merci beaucoup!が返ってきた。


私の後ろの男性はイタリア語で話をしていた。

今から私は何語で話します!と

宣言があるわけでもない上、

誰もが流暢ではないだろう言語を

瞬時に聞き分けて対応できてしまうのだ。


あれだけの歌い手だから聞く耳も良いのだろうと

妙に感心してしまった。





友人に1日の出来事を話したら

「推しからサインなんて良かったじゃん!」

と言われ、ああ、これが今で言う

「推し活」というものなんだろうかと思った。

帰る途中Instagramを開いたら

アラーニャがサントリーホールでの投稿を

していたのでコメントを書いてみたら

ハートを押してもらえ、

私がストーリーに載せた投稿も

メンションしてもらえたのだ。

リサイタルでの素晴らしい歌声はもちろん、

その後もひっきりなしの感激が重なって

この日は発熱したかのように

ふわふわと体が熱かった。

また遠くない未来に来日してほしいけれど、

なかなかそれは期待できそうにない。

私自身ができれば、

フランスあたりに聴きに行きたい。