こんばんわ、ベルコートの瀬尾です。
さて、本日は日本の城建築史①です
日本の城は古代には音読みで「キ」と読まれていたよう
です。それが中世からは「ジョウ」と読まれるようになり、
その後現在の「シロ」という読み方になりました。
沖縄では城に当たるものを「グスク」と呼び、アイヌ民族
は「チャシ」と呼んでいます。
姫路城や大坂城、江戸城のように全国的に知名度の
ある城もあれば、土浦城、久保田城、岡城のように、恐らく
地元以外の人たちには聞き慣れない名前の城もあるかも
しれません。
「日本の城 歴史と構造」によると、少なくとも江戸時代末
期までに186もの城が存在していたと言われています。
これだけ多く築かれた城とは、一体どのようなものなの
でしょうか。元々軍事目的で築かれており、私たちも城
をそういう視点だけから捉えがちになりますが、それだけが
城の特徴の全てではありません。「日本城郭の石垣は基本
的には軍事目的から出発しながら、独特の造形的な美しさを
創り出しているのである」とよく言われます。
これは、城の持つもう一つの特徴を表しているようにも考えら
れます。
城は元々屋敷が変化していったものだと言われています。
代表例として、皇極三(644)年に蘇我氏が自分の屋敷に柵と池
をこしらえて城とした事例が挙げられています。戦国時代に入
ると、屋敷に代わって山城が多く造られるようになりますが、
そうなるまでは豪族や武士たちの屋敷が戦争の拠点として利用
されていました。その山城も、鉄砲の出現などで戦術が徐々に
変化をしていくと、戦局に対応した石積みの方法で石垣が築かれ
るようになるなど、次第に私たちがイメージする城へと変化し
ていきます。また、大きな権力を持った宗派が寺院に城郭的施設
を構える事例も見られます(代表例として、浄土真宗の石山本
願寺があります)。
一旦戦乱が沈静化した安土桃山時代以降は、城下町としての性格
も備える安土城や大坂城、伏見城のような近世城郭が登場し始め、
大名たちもそれに倣って城を建築するようになりました。こうして見る
と、城が単なる軍事的存在に留まらなかったのは、大名たちが時代
の変化に適応できる柔軟性を持っていたからです。そして、城の元
々の美も、軍事性だけでなく、芸術性や権威も求めるように
なった大名らの手で磨かれ、現在の形に至ったのでしょう。
城は世界各国に存在し、日本の歴史を見る上でも象徴的な存在です
が、現在では地域の名所としても重要であり、地元の人々にとって心
の拠とも言えます。しかし、城の景観は、その地域に直接関係がない
人々にとっても文化的な観点から心惹かれるものがあると思います。
その意味で、城は多くの人たちにとって心の拠とも考えられるのでは
ないかな…と城好きの私は考えます。
あまりに長くなるので本日はこれまで・・・次回は城の原点“城柵”につ
いて記事を載せます。