母との関係は当然生まれる前から始まってますが
意識して問題として捉えるようになったのが
父親が亡くなって5年ほど経ってからからでしょうか
存在が苦しく感じる………
そんな時に出会った人達のおかげで
自分の思い込みや幻想、チャージに取り組むことを始めました
当然、母との事も取り組みながらです
介護と呼ぶにはまだまだの状態から
自分の母との関係を観ていく
この取り組みをはじめていたことが
母の介護中の変化への対応タイミングに繋がったと思います
かなり前から
昭和8年生まれ、88歳になる母を
新しい土地に連れて来て大丈夫だろうか…
このままこの土地で暮らした方が良いのでは…
親を呼び寄せる時どなたも想う不安はもってました
田舎の介護福祉事業の限界を感じていた頃
母に認知的にも身体的にも変化が見られるようになってきました
あんなに不安で動けなかったのに
今 動かなきゃ! と何かに動かされるように動けました
この時が母のタイミングでした
母自身が認知症の初期症状を本人が自覚しはじめて不安に
感じていた時期であったこと
生活の助けが前より必要な場面が増えてきていたことを
自覚していたこと
私と実質的に距離が近くなることで
会える回数を増やせると思えたこと
(コロナ対応で顔みるだけが続いてしまうのですが
流石に昭和一桁、国の方針と思うと従って、しょうがないと
受け止めていた)
などなど、
今、母はたくさんの人に助けてもらいながら
落ち着いて生活しています
心の片付けをはじめていたことで
介護のプロの助言と助けをたくさん借りる行動が取れて
母との関係性が私のなかで苦しいだけでなくなっていたことが
全てのタイミングを見極めることに繋がりました
もっとも……母を連れてきて大丈夫だろうか は 単に
母への心配の他に
気に入らなくて ずーと不満と文句を言われ続けたら嫌だ!
が、隠れているのですが