はじめまして。
cocoです。



ブログをご覧いただき
ありがとうございます。


私のプロフィールや
起業してコーチになった経緯について
お話しさせてください。


生まれは新潟県の最西端。
世界的にもめずらしい
ヒスイの産地でもあります。


現在は、静岡県の東部、
伊豆半島のつけ根に位置する街で
夫、娘二人と4人で暮らしています。



駿河湾を見渡すリビングで
仕事、子育て、家事を
自分の心地よいペースでやっていますが、

ほんの数年前まで
今のこの生活を
全く想像していませんでした…



短大を卒業後、教育系企業に就職。
学生時代から付き合っていた彼と
23歳の時に結婚。

30歳の時に
御殿場市郊外にマイホームを建てました。

 

年齢的にそろそろ子どもを…
と思っていた32歳の時に
彼が急逝。



想像もしていなかった事態に
戸惑い、もがき苦しむ日々。
 

どこに向けていいのか分からない
深い哀しみの中で
生きることに前向きになれい時間を
過ごしました。



 

プライベートを横に置いて
仕事に没頭できる
「会社」という居場所は

当時の私にとって
哀しみが紛れる場所でした。



人生のパートナーの命を守れなかった…
という自責の念を抱えながらも、

こんな私でも少しは
誰かの何かの役に立てている
という気持ちを
持つことができました。



故人と共通の趣味だった
山歩きを再開できたのは
36歳の時。


 

長くて冷たいトンネルの出口が
見えたわけではありませんでしたが、

いつか私があちらの世界に行った時に
「こんなふうに生きてみたよ」と
報告できるといいのかもしれない…
と少しずつ思えるようなってきた頃でした。

 

 

その後数年を経て
今の夫に出会いますが、

これからのことを
考えようとすると
「罪人が楽しく生きようとしていいのか?」
という問いかけが
どこからともなく頭に浮かび、

自問自答の答えはいつも
「そんなの許されるわけがない」
でした。
 


 

双子を授かった時も
残りの人生を
自分や新しい家族と共に
生きていきたい気持ちと、

自分だけがそういう
新たな選択をしてもいいいのか
と自分を責める気持ちもあり、

周囲が想像するような
妊婦ではありませんでした。



2012年初夏
8カ月0週に入った日の朝、
心の準備が追いつかないまま
緊急の帝王切開で
娘たちを産みました。


41歳という年齢で
私は人生で初めて
母親になりました。


予定日より2ヶ月以上も
早く生まれた彼女たちの
体重は1500g。


NICUに2ヶ月弱入院ののちに
自宅にやってきました。


双子の育児は
想像を超えるものでした。


寝不足は堪えましたが、

何より働くことで
自分の存在意義のバランスを
なんとか保ってきた私にとって
家に閉じこもりの育児が
辛くて仕方ありませんでした。



命の儚さ、命の尊さを
嫌というほど
思い知ったにも関わらず、

私の子育ては
逃げ腰状態でした。



2年弱の育休復帰を経て、
2014年4月に
会社に復帰しました。


復帰を心待ちにしていたのに
復帰一ヶ月目で
「ワーキングマザーのシビアな現実」に直面。


子育てより仕事を優先したくなってしまう
自分に戸惑い、

会社、保育園、自宅の
トライアングルゾーンを
ひたすら駆け回る生活を送りました。



私は生まれ育った家族関係の影響から
自分を認める力が弱かったところに
前夫の死が重なり、

いわゆる過活動状態で
なんとかバランスをとってきた人間だった為、

会社で、思うような
貢献ができなくなり
モチベーションは急降下しました。
 


「私、このままでいいのかな…」
「このままだと、私は母さんと同じことを娘たちにしてしまうのではないか…」
という問いが大きくなりました。
 

と同時に、
親の関わりが大きく影響する
幼少期の娘たちとの時間を
大切にしたい!
と思うようにもなっていました。


 

当時の私は「これがやりたい!」
という核になるものは
何もありませんでしたが、

2017年秋、25年間の会社員生活に
区切りをつけました。


そこから、協会のインストラクター資格を取ったり、

起業塾に通ったり、コーチングやライティングを学んだり、試行錯誤しました。


その中でコーチングは、ママとして、妻として、娘として、私に変化をもたらしてくれました。


自分の気持ちをうまく表現できず
生きづらさを抱えてきた私が、

自分の気持ちにフタをせずに
少しずつ自分の気持ちを
言葉にできるようになってきたのでした。

 


出産も起業も後発な私。


ともすれば気後れしがちな環境の中で、
コーチングというコミュニケーションスキルを
日常に組み入れてから
少しずつ人との関わり方が変わっていきました。



周囲と距離を
置きがちだった私が、
自分から周囲と繋がっていくようになったのです。
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