不二阿祖山太神宮御由緒

 

 

宇宙天地が創造されし時

 

先ず始めに現れませる神の名は

 

元ス一太神

(もとすはじめのおおかみ スは◯の中にヽ)

 

不二太神

 

その神を祀る日本最古の神宮が

不二阿祖山太神宮(富士山太神宮)である

 

不二高天原の御世

国常立大神は

元ス一太神を皇祖皇大神宮

別祖太神宮に祀り

不二大宮と称し

世界の神都として大繁栄していく

 

 

 

 

ー神皇紀に曰くー

(一)天之世天神七代から始まり

(二)天之御中主世 火高見神十五代

(三)高天原世 天神七代

(四)豊阿原世 地神五代と続く

 

「阿祖山太神宮は

地神第一代天照大御神御宇

太御神親ら神祖神宗天太御神を

高天原に奉らせ給ひし

神代唯一の大御社なり

 

太御神は高天原小室阿田都山なる

父太御神の止りましし

大御宮長日向の宮に止らせ給ふ

 

其傍に宮殿を造営ましまして

神祖神宗代々の天つ太御神を奉らせ給ふ

之を高天原宗廟天社大宮阿祖山太神宮と名つけ祀らる

 

後 大柏木の下に大神宮の宮殿を改造ましまして

更に本宮阿祖山太神宮と改称あらせ給ふ

 

而して三品の大御を拝き

之を奉けさせ給ふを以て儀典となすべし

且つ子孫代々 此の儀典を堅く守るべし

 

幾もなくして太御神神避りましぬ

其心霊を太御神の政所を設けさせ給ひし

中室の麻呂山に奉り

麻呂山の神廟とぞ称し奉りける」

 

 

皇統二十二代天皇(天照太神)が

天変地異からの立て直しをされ

 

不二高天原から豊葦原瑞穂国と称し

社は不二山の鬼門(艮)に

阿祖山太神宮と改称し建立される

 

皇統二十四代

天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇(仁仁杵尊)が不二山に天降り

祭司を残し九州の高千穂へ天下りし

政治と軍事を国防の為 阿蘇へと遷す

 

皇統九十二代(不合七十三代)より

阿祖山太神宮神皇が橿原神宮に参じ

神武天皇の即位式を斎行する

 

人皇一代神武天皇により神倭朝が開かれる

 

崇神天皇(人皇十代 皇紀五六四年〜)

阿祖山太神宮より三種の神器御宝を

笠縫の里 檜原神社に遷す

 

垂仁天皇(人皇十一代 皇紀六三二年〜)

倭姫により檜原神社から

三種の神器御宝が二十三箇所 遷宮し

伊勢の神宮におさまる

 

持統天皇(人皇四十一代 皇紀一三四七年〜)の勅願文に

「阿祖山神宮事 元宮先現太神」と記され

不二太神は元宮先現太神として祀られる

 

奈良時代から江戸時代にかけて

不二太神の御名は

先現太神

仙元大神

浅間大神へと変遷していく

 

延暦十九年からの大噴火により

阿祖山太神宮は甚大な被害を受け多くを焼失

 

江戸時代に入り衰退

後は大元不二山阿祖山太神社へと改称

 

明治以降 幾度となく再建運動が興されたが叶わず 

平成十六年より崇敬奉賛会による再建事業が開始され

今日 全世界奉仕会の赤誠により

世界平和を祈念し

不二阿祖山太神宮(富士山太神宮)と改称し

再建が進められている

 

不二阿祖山太神宮神皇拝書