お気に入りのTOLAND VLOGで知ったショーゲンさん。
10月19日に配信されたTOLAND VLOGのこちらの動画に、ひすいこたろうさんと共にショーゲンさんが出演していたのを見て、初めて知りました。
ショーゲンさんは今から9年ほど前、サラリーマンをしていた時、
ある日ある絵に心を打たれ画家になると決めました。
その絵の書き方を習いに行くために会社を辞めて
2014年7月にタンザニアのブンジュ村というところに行きます。
これだけでも、思い切った青年だなと思った私ですが、凄いのはここからでした。
ここからのお話は、ぜひ動画で見てほしいと思うところですが、
お時間がない方のために桃華が要約させていただきますと
ブンジュ村はタンザニアの奥にあり、日本人はおろか外国人が入村するのも初めてでした。
なぜ入村を許されたか?
村に入れる3つの条件もそうですが
何よりショーゲンが日本人だったからだよ、と
ブンジュ村の村長さんが言ったそうです。
その村は日本人の魂が息づく村でした。
どういうことなのかというと、
今から120年ほど前に生きていた、村長のお祖父さんの話になります。
村長のお祖父さんはシャーマンで
夢の中で、ある日本人と繋がって、その人から色々な教えを学んだのだそうです。
みんな仲良く幸せに暮らす方法と、自然と共存して生きる方法でした。
その日本人の特徴を聞くと、縄文時代の日本人です。
その教えが今もブンジュ村の隅々に行き渡り、根付いていて、その教えの通りに村人200人は暮らしているのです。
そこへやって来た現代日本人のショーゲンさん。
はじめは、村長からも村人からも、お前は本当に日本人なのか?私たちの知っている日本人と程遠い。本当に今の日本人はみんなショーゲンみたいになっているのか?というふうに、しばしば疑われ嘆かれたのだそうです。
村長さんたちは、現代の日本人が誇りを失っていることを知り、ショーゲンさんに日本人の魂を伝えてくれるようになりました。
時空と次元を超えて、縄文日本人の魂がショーゲンさんの中に蘇っていきます。
この教えを聞いたら、多くの方は自然と涙が溢れてくるという体験をするかもしれません。
忘れてしまった遠い昔の記憶と、失いかけているけど血の中には流れていることがわかる、そんな氣がすると思うからです。
いやぁ、こんなことが起こるなんて、私もびっくりです。
はるか遠いアフリカのタンザニアの名も知らない村に、縄文日本人のスピリットが生きていて
そこに現代の日本の若者が運ばれるように導かれて行ったわけです。
どんだけの逆輸入なのか。時空を超えての逆輸入ですよ。
ちなみに2014年7月は私にとっても記念の年月で、初めて一人旅でセドナへ行った年月なのでちょっと親近感を覚えました。
自分で選んだ冒険が始まったタイミングが同じです。
私の歩みはゆっくりちんたらぽんこつモード。
ショーゲンさんの歩みは選ばれし人としか言いようがない。
冒険のスケールとか振り幅に大きな違いを感じますが、私は私の精一杯をやったから、人それぞれによきであり、ただ、私もこれからはダイナミックさも体験して生きたいなと思ったりしました。
2025年7月5日までに26万人の日本人に縄文日本人の心を思い出してもらえるように、ショーゲンさんは村長さんと約束して日本に帰国し、伝え続けているのだそうです。
26万人というのは、縄文時代に最も多かった時の人の数ということです。
今でもショーゲンさんは月末になると、何人の日本人にブンジュ村の話をしたか村長さんに報告しているのだそうです。
村長さんは8000人くらいで強力に拡散してくれる人に出会うという予言もしたのだそうです。
果たしてショーゲンさんは9000人を超えてから、ひすいこたろうさんに出会い、今日一冊の本が刊行されることになったそうです。
そしてTOLAND VLOGさんのチャンネルにも出演することになったというわけです。
すごいと思いませんか?
私は本当にすごいなと思いました。
本当に時代が変わって、これから本格的に進むんだなって確信を得たような氣持ちになりました。
こんなことを目にできるなんて、世の中は捨てたものじゃないなぁと、楽しく希望が湧いてきました。
2025年7月といえば、あちこちで怖い予言も聞きます。
けれど、ショーゲンさんやブンジュ村の村長さん、そして華頂宮博一さんのお話では、本当にすばらしい時代になると言うのです。
私もそういう世界がいいなと心から思います。
私の目にも次元の違いがエネルギーの違いとなって見えるように感じます。
少し前のやり方の世界を目にすれば、それは色褪せたエネルギーが漂っているように見える、そんな印象を受けます。
その反対に、ショーゲンさんやTOLANDさん、華頂さんなどなど、他にも新しい風を巻き起こしている人は老若男女関係なく、とても爽やかな風が吹いているように感じられ、その風には光が乗っていて、見ていて癒されるような氣持ちになります。