こんばんは、桃華です。

 

 

今日、アーキシンクメソッド・キネシオロジーのプラクティショナー、

ももさんにセッションをしていただけました。

 

 

もも・ももで、ももが多いんですけども、ももさんはプラクティショナーのももさんです。

 

 

テーマは「パートナー」でみていただきました。

 

 

 

今日のセッションは核心に触れたものでした。

 

そもそも朝からその予兆があったと言えばあったのですね。

今朝、私は不思議な夢を見たんですね。

二十歳頃に好きだった方が夢に出てきて。

Uさんとしますね。

 

 

 

季節は初夏のような感じで

私はUさんのお店にいました。

 

 

 

準備中かお昼休みか、お店の中にお客様はいなくて、外の明るい日差しに比べ、お店の中は日陰になっていて、心地よい涼しさと静けさです。

 

 

 

私は、左前にいるUさんの広い背中からお顔を、見るともなく見ていました。

 

 

少し見えるお顔。

 

泣いていました。

 

 

『え、Uさん、、なんで泣いているの。。』

 

 

私も悲しくなって視線を落とし、私の右側に寄り添っている茶色の小型犬へ目をやり、右手でそっと撫でました。

 


Uさんの飼っているわんちゃんです。(夢上)

 

 

 

 

わんこは懐いてきて、私をしばらく見たあと、Uさんの方を心配そうに見ます。

 

 

わんこが可愛いのと、Uさんが可哀想な気がして悲しいのと混じった気持ちで、私はわんこを抱き上げました。

 

 

 

シーンが変わって、Uさんは私の隣にいて、何か言いたそうに私に触れながらも、何も言わずにそのまま眠りました。

 

私も目を閉じて、わんこと一緒にみんなお昼寝です。

 

 

 

 

 

目が覚めると、Uさんはいなくなっていました。

 

 

私はお店を後にしようとしています。

 

 

 

後ろ側で、お店のマスターが誰かと電話をしながら、そして同じくお店のママは、なぜわんこがいるの?と取り乱しています。

 

 

私は始め、なぜそんなに騒いでいるのだろう?と不思議に思うのですが、見ているうちに分りました。

 

 

 

 

 

Uさん、亡くなったんだ。。

 

 

 

さっきのあれは、お別れのお知らせだったの・・・?

 

 

 

 

 

 

そこで私は目が覚めました。

 

 

しばらく夢と現実の区別がつかず、

 

 

Uさん亡くなったの?

何かのお知らせなの?

もしかして本当に亡くなったの?

 

と、頭の中で繰り返していました。

 

 

だんだん身体が起きてきて、夢だったことを認識すると、こんな不思議な夢を見るのは引越し以来、初めてかもしれないと思いました。

引越す前の家では不思議な夢をよく見ていたことも思い出されます。

 

 

とても気になり、夢占いでキーワードを入れて調べてみると、新しい出会いや信頼できる人と出会うなどといった意味が多く見られ、ひとまず吉夢のようだとほっとして、頭から離れました。

 

 

 

 

そして、午前中10時、ももちゃんのセッションが始まりました。

 

遠隔セッションです。

 

Zoomでお話をして、まもなくセッションプロセスに入りました。

 

 

私が最初に要望したことは、パートナーを持つことについてと、もう一つ、過去生の中で、一番ネガティブで今に引きずっていることは何か、それを詳しく知りたい、ということ。

 

 

 

筋反射をとっていくと、まず先に”浄化”が選ばれました。

神の音叉で浄化が行われます。

 

 

そして、原始反射の吸啜(きゅうてつ)反射と、もう一つ他の原始反射も出ました。

 

そこから始まり、やがて過去生へと進んでいきます。

 

過去生は263回くらい。多めです。

#一の位は間違えているかも。

 

 

場所や人は、スペイン、ポルトガル、フランス、イタリア、ロマノフ王朝、オスマン帝国、十字軍、イスラム、イラン、中央アジア、中国の西側までと、南米各地、などなどたくさん出てきました。

 

 

ももちゃんが読み上げる中で、”アーリア人”と聞いたときに、私の頭が重くなり、そこから思いあたることを話したりして、「罪悪感」が浮上しました。

 

 

 

その後で、また筋反射から「自己受容」「自己批判」のテーマが浮かびあがってきました。

 

 

それを探っていくために、トラウマ解放へ飛び、12歳の頃のことを聞かれます。

何か嫌なことがあったかどうか思い出そうとしましたが、他の嫌なことに比べると、12歳の頃はトラウマになる大きなショックや嫌だと思うことは、あまり浮かんできません。

 

 

 

なんとか、これかな?と思うことを話してみました。その頃、好きだった男の子が、私の友達を好きだと知って失恋したこと。そして、修学旅行で、その子に幻滅したことを言いました。幻滅した理由を聞かれ、話を続けます。

 

 

 

その子は、戦場ヶ原を歩いている時に、細い板の上で何かに躓き転んでしまったのですが、それを、その子の前に歩いていた男の子のせいだと言って責めて、その様子がものすごくかっこ悪く見えてしまい、一気に幻滅した事を話しました。彼の好きな人が私の友達だとわかっても、それまであった好きな気持ちが、一瞬にして消えたことが印象に残っていたからです。

 

 

 

次に、13歳の頃、母に会った時の話になりました。私の理想とかけ離れている家庭と家族達のことを話します。父、母、子供としての自分、周りの大人達。

 

 

 

私は父や母に甘えていないこと、甘えられなかったこと、自分を出していなかったこと、空気を読んで察して諦めていたこと、望んでも仕方ない/望めないと思っていたこと、などを思い出しました。さらには、カルマや業の存在を感じていて、罪を償う感覚を持っていたことも話します。

 

 

 

ももちゃんは、私に繰り返し同じ問いを投げ掛けました。

 

 

 

私も、繰り返し聞かれていることを認識しながら、その度に角度を変えて、同じ出来事について語っていきました。

 

 

 

どうして欲しかったか、どうしたかったか、それを聞かれた時に、スキンシップ、温もりや愛情を感じること、愛情を伝えること、わがままを言うこと、思い切り甘えること、などが出てきました。

 

 

 

 

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その時、私は気づきました。父や母との間でそれをしていなかった私が、他人の男性にできるわけがないということを。

 

 

 

それと共に、自己破壊プログラムも働いて、このままいくと幸せになりそうだと薄々察知すると、なぜか壊す方向へ自然に向けて行くという、悲しい行動の癖の訳も。

 

 

 

また戻って、転んだ男の子が言い訳をしながら、人のせいにして責めているところを、”すごくカッコ悪い、男として情けない”と、男目線で思っていたかもしれないということ。

 

 

 

それは結局、男目線がどうのこうのではなくて、自分の嫌なところを人に見られるのが怖い、見られたくない、見せたくないという、私の心の中にある恐れが現れていたものだった、ということだったんです。

 

 

 

嫌なところを見せたら、嫌われて幻滅されるという思い込み。それはあることだけど、自分でも気づかないほど大きな恐怖心だったのだとわかりました。

 

 

 

だって、ただでさえ自分が望むものとは程遠い家庭環境で、愛情表現や温もりを感じることは望めないと、諦め我慢をしつづけているのに

 

 

 

この上、自分の嫌なところを見られて、家族以外の人にも嫌われてしまったら、愛のない人生に絶望してしまう。

 

 

 

そんなことまで私の人生に起きたら到底耐えられない、という恐怖心がサバイバルとなり、人に嫌われないように、自分の嫌なところは見せないようにしなくては、と設定されていったことに気づきました。

 

 

 

自己受容ができていない根源、自己批判の根源は、恐れの意識にあったのだと。

 

 

 

つい最近、たまたまお会いした年配のマダムから言われたことが思い浮かんできました。

 

 

 

『結婚も、結局は人と人なの。”男だからこうあってほしい、女だからこうじゃなきゃいけない”ではなくて、一人の人間として見て、つきあっていくことなのよね。』

 

 

 

その方を通して知らされたメッセージ。

 

 

 

人の嫌なところではなくて、私は自分の嫌なところを見たくなかったんだと、

 

 

 

何かがスッと胸から湧き上がって抜けていくような気持ちになりました。

 

 

 

見られたくないし、見せたくもありませんでした。

そうしたら離れていくと思っていたから。

 

 

「甘えられないこと」の一面です。

 

 

 

やっと分かった、、という気がしました。

 

 

 

 

幼い頃から私の中に漂っていた罪の意識、償う意識、罪悪感。

しあわせではない家庭、何も望めない家族も、甘んじて受け入れなければならないという意識。

 

 

 

 

雪に閉ざされる土地も好きではなかったこと。

清く美しい雪景色に慰められる時はあっても、暗く灰色の日々が続く時期は、何かの修行か試練のように思われて、雪は強力な浄化作用があるから、私はここに来たのだろうか、などとさえ思ったこと。

 

 

 

 

 

 

世の中、寒い家庭でも、諦めない選択は存在しています。

 

 

 

私はその選択肢に気付けない子供だったけれど、それに気づかせようと助けてくれた人や、助けようとしてくれた人たちは確かにいたということも今はわかります。

 

 

 

私の世界は、私から出ているものでした。

 

 

 

言い訳をしながら、人のせいにしている男の子がひどくカッコ悪く見えて、ものすごく嫌悪感を持って幻滅したのは、

 

 

 

それが自分の姿そのものだったからです。

 

 

 

自分でも見たくない隠している本当の自分の姿だったから。

 

 

とても直視できないから、嫌でたまらなかったのですね。

 

 

 

今、同じ場面に遭遇したら、ただ笑って終わります。

転んだ子には「大丈夫?」って声かけて、自分のせいにされた子には「そんなことないからね」って声かけて、「さ、行こ」って。

 

 

 

そして、今なら、お父さんとお母さんが一緒じゃなくても、そのことに気を使うことなく、それぞれに甘えたいだけ甘えて、自分の気持ちもそのまま言います。

 

 

 

「お父さんもお母さんも好きだよ、それに、お父さんとお母さんも、私を好きなこと、知ってるよ」と。

 

 

 

 

ももちゃんは、CREDOさんのアーキシンク・メソッドの講座を8ヶ月間学び、プラクティショナーとして今後セッションを少しずつ始めていかれるとのこと。

 

8ヶ月で本当に、CREDOさんのセッションと同じくらい深いセッションをされていることに驚くばかりです。ももちゃんだけじゃなく他の方もそうです。

 

アーキシンクメソッドって、深く抉りに抉ってくる感じがたまらないです。

 

プラクティショナーさんによって、抉りポイントがやっぱあって、ももちゃんは今現在はトラウマ解放がポイントです。ここに対するももちゃんの抉り用は、またそこ?って思ったくらいです。www

 

 

だけど、そこがありがたくて、なぜなら大抵、自分ではピンと来ないからですよ。

 

ももちゃんは、それがポイントだと分かっていて、必ずその人の深い部分とつながっているはずだということも分かっているから、言い方を変えて繰り返し同じポイントに焦点を当ててくれているんですね。

 

 

こういうことは、情熱があるからこそできることですよ。

 

知りたいという気持ち、目の前の人への尊厳と、可能性を開きたい、幸せになってもらいたい、という純粋な欲求と情熱。

 

それは天性のものだと思います。

 

 

アーキシンクメソッドに辿り着いた方々は、皆さんそれぞれがアーキシンクメソッドキネシオロジーを使いこなして、人を助けていく天才だと直感で思って尊敬している私です。

 

 

このところ、立て続けにセッションを受ける機会をいただいて、相乗効果的にクリアリングされていたのだと思いました。

 

 

これまで私にセッションしてくださった皆さまにも、心からお礼を申し上げます。

 

 

 

 

 

かくして、これで本当に、私はパートナーと出会っていくなぁー、、と、ぼんやり思えました。

 

 

 

誰が来ても、自分が投影されるだけです。

 

誰であっても、それは運命の出会いです。

 

そういうことです。

 

 

 

見事な伏線回収で気づかせてくれた

ももちゃんとセッションに

心からありがとうございました✨

 

今後のご活躍をお祈りしています👏❣️

 

 

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