ウクライナ🇺🇦のことで思うこと



一夜にしてロシア軍がウクライナの全土に入り込んでいる様子を見て思ったのが、ずっと前からロシア人がウクライナで普通の人として暮らしを営み、有事になったら活動するという戦略が水面下で進行していたのではないでしょうかと思いました。




なぜなら、我が国も実は似たようなことが密かに(いや、もう最近はややあからさまに?…)進行しているというような話を聞いたことがあるからです。




具体的には控えますが軍事戦略というものは長期計画で練られているものであり、我が国だって今だに虎視眈々と狙われていることを忘れてはいけないです。




そして、一番なにが悔しいって、国家と軍産複合体を使役する黒幕の邪悪な思惑に翻弄されるのはいつも市民で、市民は家族親戚友人など大切な人たちとの平穏な暮らしを望んでいるだけなのにある日突然その願いを無残に奪われることです。戦争が起きてしまったら市民は無力の立場に落ちてしまう。だから何があっても戦争は避けるべきことなのに昨日その一線が破られてしまいました。



これが前例となってしまえば同じような行動を他の国が取ってもおかしくないし、それが許されるような事例となってしまったのが今回の戦争です。




そして日本こそ他人事の話ではないかもしれません。

皆さんの中には気づいていらっしゃる方々も多くいると思いますし、私も容易にこの先起こり得る可能性を想像できますが、戦争を起こさないために、戦争を止めるために、どんな手を打てば有効なのか、その手を市民が打てるものなのか、わからないですよね。

起こらない事を祈るのが精一杯です。

私たちの気持ちが届かないところで話が進んでしまうのだから。




SNSで抗議も一つの手です。

選挙も唯一の手段です。



そもそも、自由主義や民主主義の思想さえ脆いものになってきているとき、いつ崩れ去るかもわかりません。ウクライナでは間違いなく市民の願いは今回崩れ去りました。私たちも明日は我が身かもしれないわけです。



そんなことないでしょと思う方は隣国の側になって考えてみると想像がつくはずです。中国と北朝鮮は核を持っているからです。



プーチン大統領の真意は計れないけれど戦争行為は避けてほしかった。まもなくキエフは陥落しロシアがウクライナを掌握するでしょう。



それで終わっても、終わらなくても、どっちにしても、明日は我が身の事例となってしまいました。なんという事が起きてしまったのかと思います。これさえも破壊と再生の道と言われたとしても過酷な時期の到来です。



ロシアの言い分も歴史の経緯を辿れば理解できる面もありますが軍事行動を許してしまうと他の国も真似していいんだっていう認識を与えてしまいます。だから戦争は絶対に許してはいけないことです。




例えば仮に黒幕への挑戦だったとしてもそれは彼らの思う壺というものですし、今回の作戦を見るとプーチン大統領個人のエゴも少なからず入っているのではないかと思えてなりません。




個人的に、ロシアはアナスタシアという本を読んで憧れている国で、ロシア建築や美術も好きなのですが、訪れる機会も遠のいてしまうでしょうし、ロシア国民にとっても受難が始まってしまったということは否めないでしょう。




今年に入って何かがパッタリと止まった感覚が、あまりに静か過ぎて嵐の前の静けさのようで怖いくらいでしたがこれなのでしょうか。



このあとアメリカとNATOの動きで泥沼になる可能性も多いにあります。



その時、私はどうするか。

日本はどうすればいいのか。



無法にもミサイルが本当に撃ち込まれたら一瞬で全てが崩れ去ってしまうのです。



そんなことがあってはならないのに、それを許可してしまうような出来事が起きてしまいました。



こんなことを書いても私にも普通の市民にも打つ手はありません。




苦境がやって来たらその時こそ日本人の心、スピリットを忘れないようにしよう。万が一にも国土を侵略されて奪われるなどということは起きてほしくないが近い状況に陥るとも限らない、そうなった時に、私はどうしますか。あなたはどうしますか。家族や大切な人たちを守るのみです。




無力さも権力者も嫌いです。



戦いの世界や概念ごと消えてなくなってしまえばいいのにと心から願います。



私の土台は楽観主義ですけれど戦争という化け物にはどう立ち向かえばいいのかわかりません。



私はまだ日常を送っている。しかしこの日常は幻となる日も来るかもしれないわけです。


それでも日常があるうちは、それを全力で楽しむことが大事だと思っていますが、今日はウクライナ市民の方々のために祈りを捧げます。