「根本的な原因」に取り組む決断をする。 | いま、ここ あるがまま ~自分の感覚を信じることは、自然体で生きること~

いま、ここ あるがまま ~自分の感覚を信じることは、自然体で生きること~

さまざまな体験を経て、自然体で生きる日々を綴る、Norikoの日記


こんばんは! Noriko☆です。
この出だし、どのくらい振りでしょうか(^▽^;)





こちらの写真は、プランター栽培で収穫したトマト&パプリカです。
(サムネイル画像にしたかったのでこちらを載せました)

 





左手の中指と薬指の指先に手湿疹を発症してから2週間が過ぎました。
一時小康状態になったものの、今日の時点で新たに別の指先や指全体に広がりそうな兆候が見られます。

 


過去にも指全体に発症したことがあり、その時はもっと酷かったものの、同じような状態になったのは実に14年ぶりのことです。
指先だけなら何とかなりそうだと思っていましたが、利き手なのもあり、これ以上広がると非常に厄介だなと感じています。 





※以下、痛々しい画像が登場します。ご注意ください。※











 

 

 

 


発症してから10日くらい経った時の症状です。


こちらは13年前、2007年3月18日のもの(写真が出てきたのでデジカメで撮りました)。

このときも左手のみで、親指を除いた4本の指で発症しました。

 
 
 
 
 

過去の疾患写真は2006年11月から2007年3月末頃まで20枚程度あり、疾患の過程がいま見ても一目瞭然でした(記憶は時間とともに曖昧になりますので、こうやって画像などに残すのって大事ですね)。

 

 

当時は皮膚科を数軒回ったものの一向に回復せず、ある時から諦めて何もせず放置していたら1年以内(8か月くらい?)に完全沈静化しました。

その間、同じ箇所で何度も「湿疹→水泡→破れて徐々に再生→再度湿疹・・・」といったループを繰り返していました。






ところで。

これまでの習慣や最近の心身状況を踏まえつつ、改めてまじまじと指先を見て感じたことがあります。
恐らくは、目には見えない何らかのストレス手湿疹という見えるかたちで現れたのではないだろうかということです。
 


事実、数日前まで精神的にしんどい状況が続いていたこともあり、そのことから勝手な推測ではありますが、「根本的な原因」にアクセスしなければこの手湿疹が引くことは無さそうだという感覚があって、薬はおろか自然療法的なことも一切やらないままです。

 


その「根本的な原因」については目星が付いていますが、それに着手することを躊躇していました。

けれど、その「根本的な原因」に向けて取り組む決断をしました。
手湿疹の原因が先の推測通りでもそうでなくても、ものの見方としては「根本的な原因」に対する私の覚悟が一番重要なんだと感じています。

 

 

 

 


ここまでオブラートに包んで書いていましたが、その「根本的な原因」というのは、血脈の先祖霊の霊障絡み」のことです。





いきなり先祖霊だとか霊障などの言葉が出てきて一体何!?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は感度が非常に高い「霊媒体質」です。

その「霊媒体質」によって、いま体験していることを書いています。

これは、「私たちの世界が「この世」と「あの世」で構成されていて、輪廻転生がある」という前提のお話になります。


※そのことは、これまでにもブログテーマ【霊媒体質あれこれ】【見えない世界のこと】のなかで綴っておりますので、興味がありましたらどうぞ。


ひとくちに霊障といっても種類はいくつかはありますが、以前(3年前)に私は、さる陰陽師の方から、私に憑いていた「霊脈」の先祖霊を【神事(カミゴト)】という方法で【救霊(「未成仏霊を救う」の意)】(本来在るべき場所(あの世)にご本人の意思でお還り(成仏)いただくこと)をしていただき、それによって人生が大きく動き出しました。



これより以下は、ご縁によって出逢わせて頂いた陰陽師の方から聞いているお話しの一部を踏まえつつ、先祖霊の霊障に関することをザックリとご紹介します。





私たち人間の魂は、その種類を4つ(例として1~4)に分けることができるとのことです。

そして、1つの魂に対してその種類が生涯(輪廻転生が終わるまで)固定されているのではなく、輪廻転生ごとにその種類を変えつつ、変更した種類での経験を「この世」で積んでいるのだそうです。
その中でも、更に「霊媒体質」というものを「付け加えて」生まれてきている人がいるとのことです。

 

 

つまり、魂の種類が1~4の人の中には、「霊媒体質である人」と「そうじゃない人」がいるということです。

この部分だけで見ると、魂の種類は8つあることになります(※)。

 

(※)

ここでの魂の種類の数は、あくまで「霊媒体質」を持っている人の位置付けについて説明している内容になります。

実際には、それぞれの魂には枝番が存在することと、輪廻転生ごとに魂の種類が変更されるため、組み合わせは無数にあります。

 

 

人にはそれぞれ、「あの世」から「この世」に生まれてくるときに自分で決めてきたとされている宿題や課題が大小さまざまあります。

そのような、誰もが持っている取り組みとは別に、この「霊媒体質」を持った者には、大なり小なり何らかのかたちで先祖の霊が絡んでくることがあります。

 

 

そして、「霊媒体質」を持った者(子孫)に受け継がれる(干渉してくる)先祖の霊には、「霊脈」と「血脈」の二つがあります。

 


霊脈の先祖の霊とは「自分と同じ魂の種類の地縛霊化した先祖(※以下参照※)」のことで、

血脈の先祖の霊とは「自分とは魂の種類が異なる地縛霊化した先祖」のことを指しています。

「地縛霊化した先祖」とは※
肉体の寿命が尽きるとき、「この世」に未練を残したまま魂が肉体から離れてしまった結果
「あの世」へ自力帰還が出来ず、未成仏霊としてそのまま「この世」にとどまってしまった先祖(故人)の魂のこと

 

(補足)

自力帰還が出来るのは一度きりのため、自力で「あの世」に行くことが出来なかった先祖の魂は「この世」をさまよい続けることになる。
結果、その苦しみから解放されたいなどの想いから、霊格の高い(「霊媒体質」を持つ者のことを指す)子孫を頼って憑いてしまうことがある(罹る子孫がいない場合、縁のある土地に憑くなどする)。

 

憑かれた子孫側からするとそれが霊障となり、憑かれた子孫の「霊媒体質」の感度やその他の資質にもよるが、本人の意思とは関係ないところで自分の人生を自力で遂行することが出来なくなってしまうことになる。





3年前に執り行った先祖霊の【神事(カミゴト)】は、同じ種類の魂を持つ「霊脈」の先祖霊に限定されており、今回はそれ以外(血脈)の先祖霊が霊障として罹っているということを、陰陽師の方から指摘されております。
 

 

なお、この「血脈」の先祖霊の【神事(カミゴト)】を行うようになったのは、元号が令和に移行してからだそうです。


※追記(2023/05/18)※ 

陰陽師の方が、その神通力によって「あの世」と「この世」の仕組みを探求し始めた当初から分かっていたことは、先祖霊には「霊脈」と「血脈」の2種類があるということでした(私は「霊脈」先祖霊の話のみ、聞いていました)。


私が【神事(カミゴト)】を依頼した(陰陽師の方が一般の人に神事の対応をし始めた)2017年頃は、「霊媒体質」を持つ者に罹る「霊脈」の先祖霊に限った【先祖霊の奉納救霊神事】を執り行っていたそうですが、依頼のあった【人物鑑定(※現在は廃止)】のデータ解析を行った結果、「霊媒体質」を持たない者であっても大なり小なり「血脈」の先祖霊による霊障が罹っていることが分かったそうです。


「霊脈」と「血脈」、それぞれの先祖霊による霊障の罹り方(方向性)は全く違うもので、しかも、「血脈」の先祖霊のほうが「霊脈」の先祖霊よりもさらに霊障が重いことから、現在【神事(カミゴト)】の依頼を受けた際は、「霊脈」と「血脈」の先祖霊、両方セットで【先祖霊の奉納救霊神事】を執り行っているとのことです。

 




取り憑かれた子孫は先祖霊の霊障として17個の障害がもたらされ、人によって強い影響を受けている霊障が異なります。

それは、個々人の持つ魂の性質と関係があるからです。
なお、霊障を拾ったときの影響は肉体・精神の両方にあり、その出方は個人によってかなりの差があります。

 


「自覚できる/自覚できない」「拾いやすい/拾いにくい」「軽く出る/重く出る」「すぐ発散する/溜め込んでしまう」「精神に出る/肉体に出る」など、その特性は千差万別です。
それが皮膚の表面であれば痒みが出てかかずにはいられなくなったりするでしょうし、内側にでれば腫れや湿疹という出方をするかもしれません。

 


つまり私の場合、陰陽師の方の指摘通りであれば、いままさに霊障の影響が、手湿疹として皮膚に表れているということになります。
なお、これは私に関しての話ですので、左手だけに発症する手湿疹を患う全ての方の原因が霊障にあるわけではないことを補足しておきます。





そして私のような「霊媒体質」を持つ者が陰陽師の方のような超一流の霊能者との出逢いを経て、各々の先祖霊の【神事(カミゴト)=救霊】を行うということは、「この世」にとどまっている先祖霊からすると「あの世」に帰還できる千載一遇のチャンスであり、それは芥川龍之介著の『蜘蛛の糸』のように、何百年、何千年も待ち焦がれていた救いの光が差すようなものなのだそうです。





つまり、私の魂の種類と異なる「血脈」の先祖霊の神事を行うことは、私自身や私と繋がる親族の誰か、そして地縛霊化した血脈の先祖霊、これら双方にとって善きことになるということです。
未だに自覚はありませんが、私自身が(超一流の霊能者との出逢いを含め)そうしたことに「ご縁」をいただいている、ということになります。





現世利益で物事を考える方からすれば、私のような体質の者はとばっちりを受けている、人生損をしている、などと思われるでしょう。
けれど、私のなかでは<「あの世」がこの世界の主たる場で、「この世」は魂磨きのための修行の場>という前提がありますので、そうは思いません。

 

 

以前、過去のブログで「霊媒体質」を私の魂が持つ能力として認識していることを綴りましたが、それは陰陽師の方がいつも、私たちのような体質の者のことを<「この世」に漂う霊を引き付け、救霊出来る者のもとに運んでくる優秀な霊媒体質の人間>と仰っているところに起因しています。

 

 

そして、この人生を自分で選んで生まれてきたとするならば、自身の魂の資質(霊媒体質)によって引き起こされたことは全て、魂を磨くための経験(天命)だと捉えることが出来るのです。





これまでブログにも綴っていたのですが、「霊媒体質」を持っていることを知らなかった頃もそれを知ってからも、諸々の葛藤やその時々で必要だとされる決断を経て、私は「いま、ここ」を生きています。

 


先祖霊による霊障の経験があったから、それによるこれまでの苦労があったから、いまの私が出来上がったのだと確信を持って言えますし、当時は苦しかったとしても、そこでの経験はとても貴重なものだったと今では思っています。





ここまでの話を信じる信じないは、これを読んでいただいている方にお任せするとして、私自身が自分のこれまでの人生を振り返り、その時々での経験を踏まえここまで辿り着けたことを考えると、上記の内容は私にとっては信頼に足るものとなっています。

 

 

そしてこれらのことは、私という「霊媒体質」を持つ人間のひとつの物語であるのと同時に、3次元的な理屈で割り切れるものでない世界であり、かつ「縁」というルールが作用しているものだと思います。

 

 

 

 

 

今回、自分を取り巻く状況から、「この世」と「あの世」の仕組みを軸とした【神事(カミゴト)】による地縛霊の【救霊】は、本当に時空を超えた、壮大な取り組みなのだなということを改めて感じました。

 

 

 

 

 

8月下旬ごろに、ぽつぽつとヒトリゴトとして呟いていた背景には、このようなことがあったのでした。

そして、ご先祖様絡みでの大掛かりなものは、出来ることならこれが最後であればと願っています。