『霊媒体質』 私の場合② | いま、ここ あるがまま ~自分の感覚を信じることは、自然体で生きること~

いま、ここ あるがまま ~自分の感覚を信じることは、自然体で生きること~

さまざまな体験を経て、自然体で生きる日々を綴る、Norikoの日記

 
※前回の投稿「『霊媒体質 私の場合①』」の続きです。
 
 
 
 
 
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次に、人によっては『霊媒体質』は霊能力であるという考えをお持ちの方もいらっしゃり、それにより私もなにかが出来ると思われることがたまにあります。
 
 
 
 
 
私の場合は『見えない世界の存在』に対する感度が非常に高い『霊媒体質』で、そのような存在を磁石のように引き寄せてしまうという『能力』を持っています。
 
 
 
 
 
『霊媒体質』を『能力』としているのは、この体質が一生変わらない魂の資質であるということが明確にわかっているからです。
(『霊媒体質』を一生変わらない魂の資質だとしている点については、過去記事(【『すべては、自分の人生を自分のチカラで全うするために。』)を参照ください。)
 
 
 
 
 
例えるなら、その資質により『見えない世界の存在』から言い寄られている(アプローチを受けている)と言ったほうが分かりやすいかもしれません。
 
 
 
 
 
先祖霊や未成仏霊からは助けを求められるし、魑魅魍魎にはちょっかいだされるし、いわゆる眷属と呼ばれる存在からはあれやこれやと構われて無理やり贈り物(モノの例えです)をされそうになるなど・・・
見えてはいないけれど、見えていたらきっとこんな感じなんじゃないかなと思っています(全くもって嬉しくないですけどね 苦笑)
 
 
 
 
 
『霊媒体質』であるがゆえに起こる霊障は大変で、それにより日常生活を当たり前に送れないため、良くないことであるという認識が一般的には多いと思います。
私自身も、『見えない世界の存在』から『干渉(霊障)』を受けることは良くないことだと思っていました。
 
 
 
 
 
正直、霊障は辛いです。
私の場合、霊障による肉体的不調は多岐にわたりますし、あまりにも強い霊障に遭うと肉体だけでなく精神的にもダメージ(特に気力が下がる)を受けます。
だけど、その山を越えてあとからその霊障を伴った出来事を振り返ってみると、それだけ意味のある経験をしているのだということが分かるのです。
 
 
 
 
 
このような経験を通して、私にとって霊障を受けることは『見えない世界の存在』や自分の持つ『霊媒体質』に対しての意識を鍛えるための肉体の負荷であり、それはつまり、私自身の魂(霊性)を磨くための修行なのだと思うようになりました。
 
 
 
 
 
感情では受け入れらないことがあっても本能ではそう思えるようになった頃に、合わせて自分に必要とされることを取り入れていった結果、『見えない世界の存在』に対しての体感の精度が上がっており、ちょっとやそっとの魑魅魍魎さんたち(いわゆる小物)はほとんど体感すらしなくなりましたので、この考えは合っているものとしています。
ただし、体感の精度をあげるための修行(?)とか誰かのところで能力開発をしたとか、何かのグッズ(パワーストーンなど)に頼ったりといったことは一切していません。
 
 
 
 
 
余談ですが。
私がその生まれ持った感度により惹き付けた『見えない世界の存在』の然るべき対応をしていただいているのは、皇室の裏方に遣える陰陽師の方です。
 
 
 
 
 
一般的な(自称)霊媒師や霊能者の大半は、人間に取り憑ついた先祖の未成仏霊や先祖ではない地縛霊、または人を惑わす存在などを「祓う」としているようです。
 
 
 
 
 
では、その「祓われた存在」は、いったい何処に行くのでしょうか。
 
 
 
 
 
実は、取り憑かれていた人間にとっては解決したことになっても、「祓われた存在」は「この世」をさ迷うだけです。
 
 
 
 
 
「この世」をさ迷う「祓われた存在」は新たな取り憑き先を探しているので、結局は大きな視点でみれば、単に「祓う」という行為は新たな犠牲者を生んでいることになります。
 
 
 
 
 
私がしかるべき対応をお願いしている陰陽師の方は、人間に取り憑いたそうした存在を、その当事者から「祓う」だけでなく、ご先祖や地縛霊などの未成仏霊は本来在るべき場所(あの世)にご本人の意思でお還り(成仏)いただくことをされています(別の言い方では【救霊(未成仏霊を救う)】)。
さらには、それ以外(人を惑わす存在)は2度と人間に干渉しないよう霧散させる(消えてもらう)ということをなさっています。
 
 
 
 
 
そのため、この陰陽師の方がなさることを【神事(カミゴト)】(※)と申しております。
 
(※)
【神事(カミゴト)】については、先祖霊を解消する側面から見た過去記事(『たましいの健康について。』)を参照ください。
 
 
 
 
 
そしてこの【神事(カミゴト)】は、取り憑かれていた当事者の苦悩を解決するだけでなく、「この世」のためにもなることなのです。
 
 
 
 
 
2017年の夏、この陰陽師の方によって、まずは私にかかっている全ての先祖霊を【神事(カミゴト)】により【救霊】していただき、先祖によってかけられていた色眼鏡(影響)を外す機会(『見えない世界の恩恵を受けたことによる、いまの心境。』参照)を得ました。
 
 
 
 
 
その後、魂が本来備えていた『霊媒体質』による霊障がよりクローズアップされたことで、私の持つ『霊媒体質』としての『能力』がどういうものかを知ることになりました。
そうして、先祖霊を解消する【神事(カミゴト)】を受ける前とは全く違った霊障を何度となく体感していく過程で、この資質を理解することになりました。
 
 
 
 
 
間接的にではありますが、私がこの陰陽師の方と知り合ってから、まだ2年も経っていません。
 
 
 
 
 
ここにたどり着くまでの間にとんでもなく迷走しましたし、この体質が生まれ持った『霊媒体質』だと自覚すらしてなかった頃は、この体質をどうにかするために、いわゆる世間一般に出回っているスピリチュアル業界のものや自己啓発関連に答えを求めた時期もありました。
 
 
 
 
 
結局のところ、そうした回り道をたくさんしたことで、陰陽師の方との出逢い以降の出来事をあらゆる側面から見ることができ、結果、私の場合はこちらが正しいものであると実感しています。
 
 
 
 
 
ここまでの経緯から言えるのは、『霊媒体質』は決して悪いものではないということ。
もしも誰かに『霊媒体質』であると指摘されたり、その自覚があるという方は、それ自体に意味があることだと思われた方がいいと、私は考えます。
 
 
 
 
 
その『能力』がどのように生かされるのかは人それぞれでしょうが、(生かされない場合も含め)少なくともその『能力』は自分のためでありつつ、「この世」のためになることだと私は思います。
 
 
 
 
 
何故なら
『見えない世界の存在』と関わって対応していくことは、隠徳を積むこと
だと私は感じているからです。
 
 
 
 
 
「この世」において決して大っぴらには評価されず、そして密かに行われること。
これが『霊能力』や『霊媒体質』を持つ者の、「この世」における『本当の役割』だと私は思います。
 
 
 
 
 
同じように『見えない世界の存在』について語っている方はたくさんいらっしゃいます。
誰と、どのように出逢い、いまを生きているかがそれぞれ違うように、『見えない世界の存在』や『霊能力』、『霊媒体質』についての考え方も、また違っているところがあるはずです。
 
 
 
 
 
私は、その事についてをここで争うことはしません。
あくまで『霊媒体質』を持つ私の、これまでの経験話としてお読みいただけましたら幸いです。