「成り込み」という言葉があります。
皆さんにはあまり馴染みがない言葉かも知れません。
「成り込み」とは、おのれを相手に重ね合わせて、相手を生きようとする様態のことです。
簡単に言えば、おじいちゃんが幼児期の孫と接するときに思わず声が高くなり(周波数が上がり)、「おいちいね(美味しいね)」と言うような状態のことを言います。
もし、おじいちゃんが2歳の孫に対して、大人っぽく、野太い声で「これ美味しいだろう。どうだ」などと言ったら、幼い子どもは面食らってしまうことでしょう。
つまり、私たちは子どもと接するときに、知らず知らずのうちにその子の世界に入り込み、その子に合うような形で接しているのです。
幼い子であれば、姿勢を屈め、普段とは全く違う、柔らかくてやや高い声を出し、しかも「ワンワン来たね」などと幼児でもわかる言い回しに変えるのです。
他にも「成り込み」の例はいろいろあります。
例えば、お相撲さんが土俵際で必死にこらえているときに、思わず自分も力が入って、まるで土俵際から出ないように必死になっているような状態が挙げられます。
相撲に見入っているうちに、自分も相撲を取っているかのようになってしまうということです。
この場合のお相撲さんに乗り移った状態が「成り込み」となります。
そして、子育てにおいても、この「成り込み」は重要な意味を持つようになってきます。
いろいろな場面で、大人と子どものやりとりを見る機会があります。
それは親子であったり、先生と児童・生徒の関係であったり様々です。
そんなときによく思うのが、大人がどれくらい子どもに寄り添っているか、すなわち自分を捨て、子どもの世界に入ろうとしているか、ということです。
もし、先ほどのおじいさんの例のように、大人が子どもの様子とはかけ離れた表現を行ったとしたら、どうなるでしょうか。
その場合、子どもからすれば、遥か遠い場所から何か言っているな、というように感じてしまうのかも知れません。
例えば、動作がゆっくりで、話しことばも小声でポツリポツリという子どもがいるとします。
その子に対し、先生がいつも大きな声で、早口で話し続けたとすれば…。
当然子どもは、大人との関係を心地よいとは思わないことでしょう。
それどころか、言っていることがよくわからず、声の大きさや早口というプレッシャーから、だんだんとストレスを感じるようになってきます。
そして、やがてそのストレスは慢性化し、子どもは先生に対し反抗するという手段に出るようになるかも知れません。
何を言われても、「いやだ」「やらない」「いかない」という態度を示すのです。
それに対し、先生はますます早口かつ大声でやんややんやと言ったとすれば、もう子どもはたまったものではありません。
このように反抗できる子はまだよいのかも知れません。
自分に寄り添ってくれない大人に反抗もできず、ただただ受け入れてしまっていたら、それはもっと大変なことになってしまうことでしょう。
一見、大人の働きかけに応じていているようで、実はどうにもならないことを諦めてしまう…。
それは大げさに言えば、人生を諦めることに他なりません。
従順に振舞いながら、どんどん自分自身がなくなっていくのです。
当然、自己肯定感は極度に低くなってしまいます。
そうではなく、子どもとかかわるすべての大人は、自分中心に振舞うのではなく、できるだけ子どもに近づかなければならないのです。
テンポがゆっくりの子どもであれば、たとえせっかちな大人であっても、そこは子どもに合わせていきます。
ゆっくりと話し、間をあけて、またゆっくりと話す。
それを続けているうちに、子どもはだんだん心を開くようになるでしょう。
大人の言うことを聞かないのは、子どものせいではなく、「もっと自分に近づいてくれよ」という悲痛な叫びと考える必要があるのです。
引き続き、6月もよろしくお願いいたします。
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