一九九五年に阪神・淡路大震災が発生した直後、時の村山富市首相が国会演説で「近代的大都市が初めて経験した大地震」と語ったのを覚えている。一九二三年の関東大震災が東京を直撃したのを綺麗(きれい)に忘れていたのである。
地震災害はわが身に降りかかるまでは他人事(ひとごと)である。地震が起きた瞬間から、被害の凄(すさ)まじさしか見えない《局地》に投げ込まれる。破壊規模が大きければ大きいほど、そのパニックで、現場の人間には何が起きたのかとっさに判断が付かないものだ。
住んでいる土地に起きる地震の予備知識は有益だ。
便利な本が出た。著者は早くから「地震考古学」を提唱し、各地の遺跡に残る地震痕跡を研究対象に導入した学者である。日本は千数百年前から地震の年月日、被害状況を正確に記録している世界にも稀(まれ)な国だという。加うるに考古学的な発掘調査によって、断層・地割れ・地滑り・液状化現象などの動かぬ証拠、いや《動いた》証拠が確認される。過去の地震災害が具体的に把握できるのである。
この一冊は、縄文時代から現代に至るまでに「日本列島で発生した大きな地震を網羅」している。おかげで前には『理科年表』を開かなければ調べられなかった被害地震の全部が身近に知られるようになった。地震の年代記であると共に、地震の歴史地図でもあり、読者は自分が住んでいる地面の下がどんな《形状記憶》を留(とど)めているかに著しい関心をそそられよう。
大地震は常に「未曾有(みぞう)」と感じられる。この語例はつとに『日本書紀』の天武天皇十三年(六八四)、土佐に起きた地震の記録が最初らしい。
地殻変動
は、不思議に政治的動乱期
と一致する。たとえば百年余りの間隔で繰り返すプレート境界性の南海・東南海地震
。正平十六年(一三六一)は南北朝の乱、明応七年(一四九八)は戦国時代
の始まり、慶長九年末(一六〇五年二月)は江戸開府
、宝永四年(一七〇七)は幕府の屋台骨を揺るがせ、安政元年(一八五四)は幕府解体の予兆。自然史と人間史
はどこか深い所で呼応するのだろうか。