どれだけ共感を得られるか分かりませんが……普段から「現実と非現実の境目」について、よく考えます。
「胡蝶の夢」という、中国の説話が大好きです。
荘子がある日、蝶になってひらひらと宙を舞っている夢を見ます。
そこで荘子は目を覚ますのですが、果たして自分が蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の現実が蝶の見ている夢なのか、分からなくなってしまう……という、まるで仮想現実を先取りしたかのような説話。
僕も子供の頃から、似たようなことを考えていました。
ひょっとしたらこの“現実”は、何かもっと大きな存在……つまり「神」みたいな存在が実験をしている、試験管の中で作られた世界なのかもしれない……と。
その仮説を否定することは、たぶん誰にも出来ないんじゃないかと思います。
小説版「リング」の続編である「らせん」と「ループ」が、まさにそんな話でした。
我々が“現実”と思い込んでいるこの世界は、実はコンピューター上でシュミレーションされた、バーチャルの世界だった……という、そんな話。
「天神山」というネタは、実はそういう噺だと思います。
陽気で荒唐無稽な展開の合間に、「この世は夢の浮世」というセリフが出てきたり、また“死のモチーフ”みたいなものが、ちょいちょい顔を出すのです。
他の落語の登場人物たちと同じように、「天神山」の登場人物たちも、ひたすら右往左往します。
でも何だか、夢のような現のような……そんな儚さが、「天神山」の登場人物たちには漂っている気がします。
人の世は、一炊の夢。
『米紫の会』へのご来場、誠にありがとうございました。