らくだは痛みを伴う | 桂米紫のブログ

桂米紫のブログ

米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

『米紫の会』、無事に終演致しました。

「らくだ」はやっぱり、僕の中で特別なネタです。

兄弟分である脳天の熊五郎を除いて、他の誰にも愛される事なく、顧みられる事もなく、孤独に惨めに死んでいった、らくだの卯之助。

タイトルロールでありながら、死体としてしか登場しないらくだの卯之助の、その“無念”みたいなものが、「らくだ」というネタにはムンムンと充満しているような気がします。

実質的な主人公である紙屑屋の、普段はひた隠しにしている“無念”も、らくだの死を通じて徐々に炙り出されてくる。

そしてひょっとすると、この「らくだ」という噺を聴いてくださっているお客様方の、普段はひた隠しにしている“無念”までもが、徐々に炙り出されてくるのかもしれない。

…そういう風に考えるとこの「らくだ」というネタは、とても危険なネタと言えるかもしれません。
聴く人によっては、痛みを伴う落語なのかも。

でも僕自身、そういう「痛みを伴うような映画」や「痛みを伴うような小説」というのが、大好きな人間です。

なので「らくだ」には、たっぷりとそんな“毒気”を含ませておきたいと思っています。

死んでからも無理矢理踊らされ、たがの弛んだ漬け物の桶に詰め込まれた後、日本橋に置き去りにされたらくだの卯之助の魂が、どうぞ浮かばれますように。


『米紫の会』、次回は10月31日(火)の開催です。

「らくだ」とは全く違う切り口で、やはり人間の業を描いた(…と、僕は感じる)大ネタ、「たちぎれ線香」を演じさせて戴きます。