我が家の愚猫 | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

“我が家の愚猫”が、あられもない格好でゴロゴロする季節となりました。

“我が家の愚猫”であるところのこじろうも、次の冬が来たら十六歳になります。

もう立派な“オジン”ですね。


かく言うわたくしも、この春で四十歳と相成りました。

はい。
もう立派な“オジン”ですよ。


四十年生きてくると、世の中というものがなんとなく解って参ります。

世の中というものが、とても汚いものだという、その事実が解ってくるのです。

でも、その汚さを突き抜けたところで、それでもやっぱり人生は美しいんじゃないか…なんて、ちょっと見栄を張って達観したように振る舞え出せるのも、また四十代からなんじゃないか、とも思います。


老年期を前にして、こじろうはこの頃すっかり機嫌がいいようです。

若い頃のチョカチョカした雰囲気が消え去り、ただ真っ直ぐに、自分の幸福を噛み締めているように見えます。


“我が家の愚猫”なんて申してはおりますが…こじろうは僕の、ペットなんかではありません。

“親友”だとは以前から思っていましたが、それでもまだ足りない気がします。


ひょっとすると彼は、僕の“人生の指針”かも知れません。


彼に早く追いつきたい…と、そう思うのであります。