河原乞食の末裔 | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

‘芸人’は本来、‘河原乞食’だった。

その歴史の流れの末に、僕ら‘現代の芸人達’は存在する。

今や日本の国劇とまで言われるようになった歌舞伎にしても、元をただせば‘傾(かぶ)き者’と呼ばれた不良的人々から興ったものだ。

権力に支配されず体制に抗った‘傾き者’達は、元来「士農工商」よりまだ身分も低く、‘芸’でしか身をたてる事の出来なかったアウトローであり、彼らは世間から‘河原乞食’と蔑まれた。

しかし、ただ無意味に虚勢を張るだけの昨今の不良達と違い、当時の‘傾き者’は自分達のそんな劣等感を、「芸の力で人々を魅了する」事で…そしてその‘芸’を確立させるという努力で、プラスに転じさせたのである。

昔は‘芸人’というものは、反骨の精神の、また反体制の、象徴的存在だったのだ。

今時代は変わり、‘芸人’は‘河原乞食’ではなくなった。

しかし‘芸人’本来の逞しい精神を、僕は決して忘れてはいけないと思う。
己の‘劣等’に打ち勝った、その精神を。

人間誰しも、屈辱や劣等感を感じる事というのはあるだろう。
世間一般の普通の人達にとって、‘屈辱’や‘劣等感’はマイナスの要素でしかあり得ない…なぜなら彼らは‘逆襲の術’を知らないから。

でも幸せな事に、僕は‘芸人’である。
僕の中には日本の芸能史の底から響いてくる‘傾き者’達の、不屈の叫びがこだましているのだ。

屈辱や劣等感、苦しみや哀しみ…そういったマイナス要素の全てをバネにして、世の中に向けて逆襲の手を打つ事が出来る。
…‘芸を突き詰める’という事によって。

これ以上の特権が、僕にあるだろうか。

「河原乞食の末裔」である自分の職業を、僕はとても誇りに思う。


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