昔、在籍していた「TEAM火の車」という劇団のアトリエ公演で、‘木村伝兵衛’という役を演じた事がある。
作品はつかこうへい作『熱海殺人事件』…木村伝兵衛は、その主人公だ。
アトリエ公演だから許されたキャスティングではあったろうが…‘木村伝兵衛’は多くの役者さんが一度は演じてみたいと憬れるスゴイ役であり、いくら役者の少ない劇団のアトリエ公演とは言え、僕みたいな‘若手落語家’には荷の重過ぎる配役だった。
つかこうへいの大ファンである演出家さんの指導も、半端なく厳しかった。
時には「都んぼくん、背が低い!」などという、直しようのないダメ出しまで飛んだ。
稽古は夕方から早朝にまで及び、この時ほど「二度と芝居には出るまい」と思った事はなかった。
出来がどうだったのかは分からない。
と言うか、僕に‘木村伝兵衛’が巧く演じられる訳がない。
…でも、あんな経験は初めてだった。
周りからどう見えていたのかは別にして…本番中‘僕が僕でなくなる瞬間’が、何度かあった。
それが客席に伝わったのかどうかは別として…実体のないはずの‘木村伝兵衛’という男が、僕の身体を借りて“生きている”のが感じられて、気味悪さと同時に言葉に出来ない程の恍惚を感じた。
「舞台人」というのは、実は「イタコ」に似た商売なのではないかと、初めて感じた瞬間だった。
公演後もしばらく‘木村伝兵衛’は、僕の中から抜け出てはくれなかった。
僕自身が絶対に口にしないような事を、‘木村伝兵衛’が僕の口を借りて喋る…というような事が、しばしばあった。
やがて‘彼’は徐々に僕の中からフェードアウトしていったが…今でも時折、ふと僕の心に彼の‘名残’が顔を見せる事がある。
ちょっと聞くと、オカルトチックな話だ!
…でもそれはそれで、僕自身は結構嬉しかったりする。
落語を演じていても、「登場人物が勝手に喋る」という瞬間が、たまに(ごくたまに…なのが、反対に言えば稽古不足なのだろうが…)ある。
その時は、‘誰か’が僕に憑依している。
目標は、‘彼ら’を上手くコントロールする事。
「名イタコ」になる事だ。